HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

2010-01-01から1日間の記事一覧

若かった頃の思い出話し(E)

娘が結婚する時、家系図を纏めたのだが、もう50年以上も付き合いのない、日和佐、八万、 美馬の親戚を訪ねて見たいのだが、代が二代ぐらい替わり、無理と思い躊躇している。 北島にある母の実家が唯一の往来がある親戚だが、従兄弟同士の交際は全くないの…

若かった頃の思い出話し(8)

不幸は希望退職をした関連会社に移されたときからだ。 新しい上長となった人達の実力を以前の上長と同じと思い、同じ対応をしたことだろう。 査定が極端に悪いのだろう、そこでも後輩に追い抜かれた。 転機は新しい東大卒の博士という肩書きがある役員がきて…

若かった頃の思い出話し(7)

就職は、教員採用試験と、それに滑った時の為、メーカーを受験。両方とも合格。 落ちたのは、大坂の消火器会社、ここは教授の紹介で行ったのだが落ちた。 もう一つは駅前の公園近くにある名古屋の女子高、今思えば落ちた理由は風袋だろう。 結局、行き違いが…

若かった頃の思い出話し(6)

三畳一間のアパートだったので、県立図書館に出かけ、勉強。 不思議なもので、この時、話しをしたことはなかったが顔見知りになった高校生が 東大理学部数学科を卒業し、彼と会社で出会う。 出会った時、彼は田舎の工場に回され、苦さっていたのだ、数学科卒…

若かった頃の思い出話し(5)

大学時代の思い出は、 1)お金が無く、何時も食料に飢えていたが、空腹感に悩まされた記憶はあまりない 2)アパート近くの歯医者に掛かり、歯ががたがたになった 3)三年に進級する時に、体育の出席時間不足という間違いの為、奨学金を停止 3000円/…

若かった頃の思い出話し(4)

実力試しの二次志望、三次志望の理工系大学には合格するが、志望大学には不合格、 浪人をし、医学部に入る計画だったが、父親が不合格後、浪人はさせない家業を継げといいだした。 水道屋などさらさら継ぐきはないが、もう入試をする大学が無い時期に言い出…

若かった頃の思い出話し(3)

高校時代は、小泉先生が進めてくれた高校に入れず1年間めげていた。 この1年が大学入試に大きな影響を与えたのだろうが、その時は気づかず、そいうものだろう。 親は家業の水道工事店を継がす為、早く寝ろ、仕事を手伝えと、勉強の邪魔?をされたものだ。 …

若かった頃の思い出話し(2)

会ってみたいのは、中学の同級生で陸上競技部の主将だった吉田君、先生になったが、定年か。 高校の合格発表を1人で見に行き、名前が無くがっくり、どう帰ったのか記憶にないのだが、 心配した先生は吉田君に私を探させたそうだ。彼は私を必死で探したそうだ…

若かった頃の思い出話し(1)

幼稚園の記憶は、あるようでない。 場所は昨年、弟のアパートから、実家があった場所経由で歩きで間違わずに行けた。 富田小学校から道路1つ離れた場所なのだから間違うはずはないか。 小学校時代の友人で印象強いのは、靴職人の息子だが、苗字も思い出せな…

若かった頃の思い出話し

団地の班の新年会、野外で焚き火に当たりながら2時間、缶ビール1本とコップ1杯の日本酒を 呑んだ後での作業だから、支離滅裂な所があるだろうが、添削等はしない。 どこかに車で出かけたいのだが、キーを奪われてしまい、コタツに入り過ごすしかない。 こ…

新型インフルで一族全滅の危機を脱したのか?

新型インフルで一族全滅の危機を脱したのか? 連絡がないので、旦那にメールした所、下記の返事あり 1)長男は熱も引き、ミルクを飲み始めた 2)娘は熱が下がらず、寝ている 旦那は元気なようだし、長女は発熱していないと推測。 しかし、長男、そんなに簡…