HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

若かった頃の思い出話し(4)

実力試しの二次志望、三次志望の理工系大学には合格するが、志望大学には不合格、

浪人をし、医学部に入る計画だったが、父親が不合格後、浪人はさせない家業を継げといいだした。

水道屋などさらさら継ぐきはないが、もう入試をする大学が無い時期に言い出すのは卑怯だとも

思いつつ、諦めの心境の時、同級生の岡林君が、自分が入る大学でよければ可能だと言い出した。

彼の大学選びも好い加減で、親父が玉野の海上保安署に転勤するからそこを選んだのだ。

兎に角、三月中だったと思うが、そこを受け合格、入学することになった。

入学金等は親が出さないので、祖父がだしてくれた。

これで、医学系進学の勉強仲間とも一生お別れすることになってしまったのだ。

その中に凄く美人な人がいたのだが、写真すらない。

医学部薬学科志望のあまり美人でない人もいたが、前に書いた岡山の人と同級生。

そういう関係で気後れもあったのが分かれた要因の一つだ。

祖父は大学在学中に急逝、借金を返すこともなく終わってしまったのだが、学費等は親が

いやいやながらも負担、親という者はありがたい存在なのだ。

家業を継ぐのが嫌なだけで入ってしまった大学だったが、朱に染まれば紅くなるといわれる通りになった。

意思が弱いのだろう。ここでも、一年間は、どうしようかと悩んだ。

緊急避難的に入学したのは私だけではなかったようで、数人が翌年、大学を去っていった。

どうしようと考えた結論は公務員になろう、それも教員にと思い、そういう勉強を二年次より開始したのだ。

二年、三年と教員試験受験の準備だ。受からないはずがないだろう。