不幸は希望退職をした関連会社に移されたときからだ。
新しい上長となった人達の実力を以前の上長と同じと思い、同じ対応をしたことだろう。
査定が極端に悪いのだろう、そこでも後輩に追い抜かれた。
転機は新しい東大卒の博士という肩書きがある役員がきてから、査定は急上昇したのだが
時すでに遅しで、彼が退職するとまた査定が下げられるような状況が退職まで続いた。
これらの時代の手紙や写真類や研究論文、
何かあった時の為に処分しなければならないが、捨てきれないのだ。
皆さん、どうしているのだろう。
今、思うに、高校で将来が決まり、それを回復するには、えらーい努力がいるということだ。
エンジニアなど馬鹿らしいと、結婚し、子供もいたのに医学部に入り直した者もいるので、一概には
決めかねられないが、高校時代に十分に勉強しておくことは後々有利だ。
同期とは、退職後もちょくちょく会っているのだが、元上司とは会う機会がない。
殆どの方が偉くなり東京暮らしなのだ。
偶然とは恐ろしいもので、敦賀に常駐していたときに御世話になった開発炉の第一人者の鈴木さん
と松戸のDIY店でばったり会った。
三人で成増に引越荷物を運んでいる時で、話しが出来なかったのが残念だった。
彼も変わり者で、馬が合う人とは上手く付き合うが、そうでない人とは反目してしまうのだ。
第一人者とはそういう人なのだろう。
しかし、人物とは何年経っても、判別できるというのも不思議なことだ。
人間の脳ってすばらしい。