HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

父親の出生には凄い興味が出た

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22日に阿南市より父の生みの母の戸籍が送られてきた。

父欄が空白、長男、長女等を書く欄に男のみと書かれている。私生児なのは間違いないようだ。

更に、そういう子が父を含めて3人いるのだ。

父の生みの母の正式な旦那は大正8年に死去しているのだが、

父の誕生日は、大正12年だ。

次の子は、大正14年だ。

更に次の子は、昭和5年だ。

3人とも、亡くなった旦那の後を継いだ長男の籍に入っている。

父の生みの母親の生年月日は明治11年だから、父は45-11+12=46歳の時の子だ。

3人目の子だと、45-11+14+5=53歳の時の子だ。

亡くなった旦那の後を継いだ長男とその嫁の間に、送られてきた戸籍の中では子が書かれて

いない。子が生まれなかったのかも知れないし、入手した戸籍が不足なのかも知れない。

想像としては、亡くなった旦那の後を継いだ長男と、氏名不詳の女性との間の子と

考えると、10歳ではらませたことになり、それはないだろうと思う。

亡くなった旦那の後を継いだ長男は昭和19年に戦死。

戦死した長男の嫁と、上記の大正14年の子と婚姻している。

家督相続上仕方がないと思うが、全く血縁がないとも思えない所だ。

考えられるのは、実母の旦那の兄弟、もしくは遠縁の者なのだが、53歳まで子を生めるのか

という疑問が消えない。それも大正時代、今なら可能だろうが。

全く血縁のない者どうしが生んだ子に家督を譲るかな。

長男、三男が戦死して、そんな余裕はなかったのかな。

もう一世代古い戸籍を取れば分かるかもしれないが、直系でなくなり権利がないのだ。」

知らんぷりして請求してみる手もあるんだけど・・・・。

母方の伯父に手紙でもだしてきいてみるかな。

母方の祖父の名前も戸籍上2種類あるし、読み方も分からんので聞く必要もあるのだが・・・・。