HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

”死ぬなら一人で”は暴論か?

モーニングショ―で””死ぬなら一人で””の議論をしていたので暫く見ていた感想。

”死ぬなら一人で”は自明であったのが、今やそれが自明で亡くなった所に問題がある。

故に、それが当たり前だと教育したり、知らしめたりしないといけないだろう。

議論を聞いていて、ふと思ったのは、出演者全員が”死ぬなら一人で”と言ってはいけない派。

それはそれでも良いが、逆に

”死ぬなら誰かを道ズレにしても良い”という意見かなと思った。

私の頭が単純すぎるのかもしれないが、でも、そうも取れるだろう。

カウンセラーの人が死にたいという人がいたら説得させ、辞めさせるのだと話していたが、

そうだろうと思うが、それは相手が正常心がまだある場合で、かつ、死ぬときは一人で静かに

死ぬという意識のある人に有効なだけじゃないのかと思う。

”生まれる時も1人、死ぬ時も1人”という諺も言ってはいけないのかな。

”死ぬ時も1人”と”死ぬなら一人で”は同じだと思うが、違うのかな!?。

靖国で会おう”は一緒に死のうと同じだと思うが、時代背景がそう言わせていると思う

が、今は”死ぬなら一人で”と教える時代なんじゃないか。

殉死、敵討は禁止と言いだしたのは明治時代、それまでは侍の世界では常識だった

のを非常識という事に切り替えた。同じ事だと思えば当たり前か。