HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

川崎19人死傷対策

亡くなった2人に哀悼の意を表した上で、魂を入れて防御策を練れと思います。

ドライブレコーダーに児童を無差別に襲う様子 川崎19人死傷”
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190530-00000523-san-soci

今回の事件でも疑問は、結果論ですが

1)整列させてバスに乗車させるなら、列の最後に大人がいない不思議

2)列の先頭には教頭がいたらしいが、どうも手ぶら

今回の死傷は上記の1)と2)が対策されていたら少なくとも子供は殺されなかったと思う。

同じようなことは集団登校で大人が見守っているのをよく見かけるが、その大人が

手ぶら、手ぶらでもその大人が屈強な男子なら分らんこともないが、母親だったり

私年齢の老人、これでは今回の様な犯人が襲撃してくれば防ぎようがない。

何で6尺棒を持たさないのだろう。

刑法上の問題があるのかも知れないが、警察官と言えども素手では包丁を持って

殺そうと襲ってくる者を防げない。例え、空手、柔道、剣道の練達者でも無理。

映画やドラマの様にはいかないのは自明。

ただ、6尺棒を持っていても、その人が犯人を叩き倒すという覚悟がないと意味がない

ので、そういう覚悟を持たす方策も必要。

例えば、怪我をした、させたときの保険や免責。

付けくわえれば、棒の使い方の練習。 

しかし、素朴な疑問は現場に居た教頭の目的が不明なのだが、推測するに

生徒がバスに乗る時に、ステップで足を踏み外さないように監視したり注意したり、

乗車する生徒数を確認して欠席生徒を把握するためで、暴漢から生徒を守るという

目的は全くなかったんじゃないかと思う。

集団登校での大人見守ってのは、暴漢から生徒を守るのが主目的だと思うので、これと

比べると何とも不思議。

通学バスは徒歩での通学よりはより安全だとは思うが、乗車時に整列させて乗せるなら

その烈を監視しないのも不思議なのだ。

スイミングスクールのバスに乗る子供を良く見かけるが、同時に乗るのは数人で親が付き添

っているし、整列などもしていない。

そうそう、孫が水戸に住んでいた時、保育園にはスクールバスで通っていたが、整列なんて

してなかった、襲われるとすると母親も同時に襲われたなと思う。

しかし、今回の事件では父親が離れた場所で襲われたらしいが、他の18人の親は何処に

いたんだろう。バスに乗りるまで居なくて。集合場所で放置?。

そう思うと、学校も親もなんだな~と思う。

上記に類する我家の事件を思い出した。

海に親子4人で出かけた時、妻に子供の監視を指示したが、無視して誰かと話しに夢中に

為っていたのを叱った所、凄くむくれた。その理由は足の付くような浅い所では溺れないんだと。

もう1件は孫の話で、

孫息子がプールで水遊び中、夫婦で会話し、孫息子から眼をはなしていたのだが、孫娘が

弟を見ていたらしく、弟が沈むのを目視、すぐに親に知らせて、父親が救助に行き

おぼれなかったらしい。娘を責めると、溺れている雰囲気ではなく、静かに水に沈んだだけ

だと言われて、呆れた。

どうも溺れるときは、藁をも掴むという動きになるという認識らしい。

危険性に対する認識の欠如というか、知識不足なんだろう。

川崎19人死傷対策もそうなんだろうと思う。

結論は仏を作ったら魂を入れろ。