義父の軍歴証明書発行請求が棄却されたと妻に話すと、返事は亡くなるまで待てばよい。
私の方が先に逝きそうと云うと、そんな事はない、義父は骨と皮なのでもう長くないという。
これに対する私の返事は、死んでから貰ってもな~~。
家系図に義父の業績を書こうとしていたが、書き込めなくなった。
書けるのは、瑞宝双光章を貰ったことぐらいかな、でも年度が不明。
生きている間に、書き込んだ家系図を見せたかった。
元気な頃に、私の名前も書き込めと言われて、養子じゃないと反発したのだが、今や違う。
妻の所の家系図には、先祖の業績や身分が書き込んであり、見て面白いものだった。
ほんとかな~、誇張過ぎるとかいう目で見たし、妻も嘘でしょうという態度だった。
私が今編集している東村田家の家系図にはそういう記述がない、知らないから書き込めない。
長い歴史が面白い家系図にするには必要だという事だろう。
う~~と思ったのは、敵討の記述があった。
殺されたらしいので、相手を待ち伏せして殺したと書いてあり、凄い。
東村田家は百姓上がりだから、そういうのは確実にないし、これからもないことを切望する。
そうは言っても、息子の代で東村田家は消滅。
妻の家系も妻の代で消滅、他3家も2家は子なしと独身でほぼ確実にやがて消滅。
残る1家に墓守を期待したいが、今の戸主の後はどうなるか不明、大きな家に後妻とその母の
3人暮らしなので、消えると思う。
消えるのは祟りかな~~と言うと笑ってた。
ただ間違いのない事は、敵討をした時代の人と血は繋がっていない。
4世の祖の時代から子が生まれなくなり、養子。
4世の祖の血を引く子孫は子が生まれても早死、千葉と神奈川に生き延びているかも知れない。
昔、神奈川に大学教授をしている親戚がいると聞いたので、その人が血統上は本物なのだろう。
義父の葬式でその子孫に会えるかも知れないが、誰が連絡するんだろう。