若いころは近寄りがたい、話しかけにくい雰囲気があったが、今や、そこら辺にいる叔母ちゃん並み
に変身してしまった妻が、両親のお供というか車の運転で、大子の母親の実家と友人宅を訪問した。
その報告のメインは、実家では何もお土産をくれなかった、母親の友人宅では、栗、お米、卵を
くれたと嬉しそうに話すのだが、そういうものなのだろうか。
生活苦を感じているのか、物をもらうのが当たり前という感性なのだろうか分からない。
母親の実家へは、多分、両親の墓参り、しかしもう82歳になるが、それでも行くかと思う。
旧家のお嬢様育ちだから、そういう雰囲気の中で育ったのだろうか、理解を超えている。
墓参りに行かない私の方がおかしいのだろうか!?。
母親の友人、もう82歳、60年以上前の女学校時代の同窓生。
普通、いくかねえ、そんな昔の人。
大子から水戸の学校まで二人で通ったそうだ、大子の駅までは、使用人が送ったようだ。
ともかく、両家はお金持ちだったのだが、農地解放ですっからかん、我が実家もそうだが、
そういう雰囲気の中で生活しないと、おじさん、おばさんに成り下がってしまうのだろう。
我々の子供は、もう、そこら辺の若者と見分けはつかない。
時代の流れという事だろうが、本当にいいのだろうかという気持ちもある。
朝食に栗がでたが、
小さな包丁を渡され、自分で剥いて食べろという態度だ。
昔は、剥いて渡されたのだが、、、、、これも時代のながれか。
最近、着替えている姿をちょくちょく見る、ここ10年ぐらいかと思うが、夫婦間の力関係も
変わったのだろうし、恥じらいも消えてしまったのか、面倒な事は言ってはならないのだろうし、
昔にかえるのも不可能なのだろう。
しかし、妻の母親はきちっとしている、昔と変わらない感じがする。
交友関係なのだろうかな。
しかし、他人から見ると妻はどう見られているのだろう。