HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

デフレ宣言、それがどうした

朝食を食べながらワイドショーを見ていると、2年5ケ月ぐりに政府がデフレ宣言をしたと

伝えていたので、「妻にデフレで何か困ることがあるか」と聞くと、「ない」という。

「何故だ」と聞くと、ダンマリ。

そでで、我が家が困らないのは、「借金がないからだ」と。

今年の3月頃に「デフレスパイラル、恐れるに足らず」というブログを書いたが考えは変わっていない。

デフレだと借金のある者はその借金の価値が上がり、返却が大変だろう事は想像できる。

インフレだと借金の価値はさがり、返却がすごーく楽になるのは明らかだ。

デフレの宣言で預貯金がその変動額だけ減ぜられるというのなら、それは大変だが、

現状ではそういう事はないが、給料が減っていくので、大変な人が出るのも事実。

我が家では給料はレジャーに使っているので、影響はないというか、物価が下がるのは良い

事なのだ。当然、年金だけで生活しているので、衣食住は質素そのものだ。

そういう点で、高速無料化、暫定税率廃止は大賛成。

ワイドショーで安売りスーパーの価格変動を伝えていたが、これを見て、野菜の原価っていくらだと

疑ってしまった。100円だったものが、99円、88円、77円、66円と下がっているが、

農家は一体幾らで納品しているのだろうと考えてしまったのだ。

この考えからすると野菜の値段は、農家の出荷価格+輸送費+お店の価格までは下がると

思うが、お店が投売り、閉店セールをする場合は除くが、これ以下は下がらないだろう。

当然、卸等は淘汰されてしまうが、当に、構造改革なのだ。

また、経済の尺度も売上高から脱却したらどうだ。

代わりの指標は何だと質問されると困るが、例えば、社員の貧困率だとか、幸せ度だとか

安定性や離職率等でどうなのだろう。

国民1人1人が億万長者のような生活を目指すということから離脱する時ではないのか、

これが当に環境に優しい政策となるのだろう。

昔の言葉で云えば、「足るを知る」だ。

序だが、歳入が85年ぐらいの時代の額しかないらしいが、ならば、歳出もその当時の額に

押さえればよいだろう。凄く単純なことだと思うのだが。

それで、押さえる所、切り取る所は何かと切り込むのが事業仕分けだろう。

当然、国民に痛みを耐えてもらうしかないのだが、財政は確実に健全化する。

多くのサラリーマンの退職後の生活改善と同じ手法で、収入に見合った支出とすることだ。

これが出来なければ、国債発行、または、外国債の売却しかないではないか。

国債発行は借金、外国債の売却は預貯金の切り崩し、そういうものだ。

会社でも個人でも経営や生活を立て直すとき、以前と同じことをやっていては駄目だし、

世間体など気にしていてはどうにもならないのは明らかだろう。

国も会社も個人も同じことだと思う。