HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

悲惨な電話番の一日

悲惨な電話番の一日が終わりかけている。よかった何も無く。

掛かって来た電話は6件、このうちの2件が自分の勤務先より。

一件目は総務よりで、H18年とH19年で扶養者数が違うが、どちらが正しいかという問い合わせ。

H19年度分が正しい。H18年度が間違っているので、計算をしなおして欲しいと要求するが、

出来ないという。なら、何故、休みの日に電話してくる。よく分からん会社だ。

確定申告に行く必要があるので、こちらもどうでもよいが、趣旨がよく分からん。

二件目は、部長が探していたとの同僚からの連絡。彼は精密検査に病院へ行っていると答えた

というが、それは二月六日の間違い。

後の4件は女房の仕事の連絡、煩い。携帯へというが、出ないのだという。

義母の付き添いで病院へ行っているので、携帯切ってると思い、邪険に扱わず。

最後は、女房の明日の日程のFAX、通常は見ないが、見ると文字が切れて読めない。

ほっとく分けにもいかないので、携帯へ掛けると出る、もう病院じゃないのだ、どこかで遊んでる

と思うが、FAXが読めないと伝える。

この後、同じFAXが二回来る。最後の物が読めた。

娘に電話し、悪性か良性か退院は何時か聞けばよいのだが、聞けない。

父親の沽券に係わる。

失業しても、定年になっても、食うものが無くても、着るものがなくても、何がなくても、

親が死んでも、自分が死にそうになっても、ドッシリ、ゆったりと。

そういう風に育った最後の世代かな!?

古い教育を受け、敗戦で自信と財産をなくした親と祖父母に躾を受け、外では新しい自由という雰囲気

で教育を受けた中途半端な世代

17時53分になっても、帰宅しない妻を我慢強く待つ、なんとも砕けた旦那に成り下がる