”田舎の人ってどうして21世紀の今でも村八分やってるの?と思ったときに読む話”
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村八分って、そんなに悪い事かな~~って思う。
また、村八分も昔と今ではその効能が全く違うし、町や市でもあるんじゃないか。
ただ、のけ者にしてもされた方が全く困らないし、その方が静かでよいという人もいる現実がある。
また、のけ者にしたくとも、恐ろしくて出来ないという場合もある。
例えば、アメリカをのけ者にしたいが、そりゃ~怖くてできないだろう、そういう事。
国際化というのかな。
アメリカを村八分にすると、した方が潰れるぐらいの反作用がでる。
町や市、一つの例がゴミ屋敷、ここの住人は爪弾き、村八分の言い変えだろうが、困っている感じもしない。
これ制裁がないからだろう。
迷惑おばさんなんてのも、そうかな。
困っているとは思うが、そういう態度を見せない点は偉いが、頑張りすぎなんじゃないか。
村八分の残りの2部は火事と葬式らしいが、これはほっとくとしている方に害が及ぶからだろうが
これも情けない、するなら村十分にできなかったのは時代なんだろう。
火事は延焼、葬式は感染なんだろう。
山梨の女性は火事なのか葬式なのか分らんが、上手く説明できないが村八分とは違うんじゃないか。
村八分というより、地域が駆除に動いたような、ようは、住んでくれるなという。
村八分が成り立つのには
1)相手が弱すぎるか、常識人すぎるで、誰かに何か言われるともうダメな人
2)移動手段がない
3)凄く貧しい
4)親戚がない(助けてくれる人が皆無)
上記の3つが同時に成立しないと名目上は村八分でも実効性がないんじゃないか。
ということで田舎でももはや村八分はできそうでできないんじゃないか。
田舎の一軒家だったかの番組、あれは考え方によっては村八分状況なんだろうけど、
1)は強すぎ
2)は車あり
3)貧乏気にせず、不便きにせず
4)子が偶にきて、色々と処理をする
なんじゃないか。町や市でもこういう状況の人はいる。
今やもう、元気な内は、村八分を望んでいる人、多いんじゃないかな。