13日は帰宅して、記録も書けない程に疲れた。
退院時間が未定だというが、兎も角、病院へ向かう途中でメールが来たので、車を止めて確認。
清算がおわり、待ち合い室で待つという内容、話が急転だろう。
病院について、約束の待ち合い室へ行くが不在。
車を病院の正面玄関へ止めたので、駐車場へ移動するか悩むが、再度、約束の待ち合い室へ行くといた。
何故いないと聞くと、居たという。
これ嘘。
問い詰めると、清算をしてたというので、更に、頭に来て、携帯のメールをみせた。
そこには”清算が終わった”とある。
メール受診から約束の待ち合い室までの時間差は30分以上あるので”清算が終わった”は嘘で、
”今から清算する”が正しい。
私が自宅でメールを受けていたら、この文面でも一応は正しい事になるが、半分は既に移動していたから嘘がばれた。
流石に、それは無いだろうと思うが、何時もの事といえば何時もの出来ごと。
ここまでは、全然、疲れなかった。
疲れたのはここからで、”実家へ行く”というので、これには賛成、義母に話をするべきだろう。
義母に話をしていたのを聞いていたが、余命は1年かも、ほぼ抗がん剤治療で入院するだろうから、選択肢は2つ。
・有料老人ホームに入居
・介護認定を受けて、生活補助をうけるか
義母は後者を選択した。
介護認定を受けても生活補助は制度が無くなったというが信用しない。
認定申請と、話を聞きに支援センターへいくので、来てといわれて、断れない。
予約は15時。
まだ時間があるので、山新へ買物に行くと云う。
買うのは義母の衛生生活用品。
買物をして一旦義母宅へ帰宅、時間がないというので休みもなく支援センターへ行く。
妻は元気だ、気がはっているのだろう。
私はここらへんで疲れた。
支援センターで主任ケアマネという人と面談。
義母の状態をはなすと、介護認定も難しいんじゃないかと云われるが、要介護1なら生活補助は受けられるが
妻が希望しているような補助にはならないと云われてしまう。
主任ケアマネから提案、NPOでそういう補助をしている所があるから、受けたらと言われる。
妻は介護保険を使いたいらしい。
兎も角、話しを聞くことを勧めた。
女どうしでゴチャゴチャと話をしていたが、ラチがあかないというのか、ぐるぐる回り。
そこで、私が具体的な費用を聞く、それも紙に細かく書きながら、話が食い違うと、先ほどと違うと質問。
(1)義母を2回/月、病院げ送迎した時の費用をルートを書きながら概算
(2)義母を1回/週、買物に送迎した時の費用をルートを書きながら概算
(1)+(2)でも大した費用にはならないので、一挙に利用に傾く。
次に聞いたのは、利用時の手順。
これは私と妻とケアマ群と衝突。
衝突というか見解が違うのだ。
病院へ送迎する次の日程は来院日をNPOの人が病院受付に確認し、それが次の予約日になるというので、
病院の事務の人が、親族でもない人にそういう情報を教えないと云う私と、教えてもらえるという2人とヒト悶着。
一応の決着は次の来院日を書いた紙を病院から貰うのでmそれを見せるという事。
しかし、予約ではなく、その近辺に来なさいという紙を渡される病院もあると妻がいいだして、またまた揉めた。
私もかなり疲れたし、呆れていたので、その日を予約日でいいだろうという。
買物の送迎は曜日の予約なんだそう、それも数日前に予約がいるという。
予約の電話が出来るのなら、タクシーを呼んでいけるだろうと言ってしまった。
病院も同じ。
それができないから、支援をうけたいという希望だろうと、根本に帰してしまった。
こういう話を永遠とやっていて疲れてしまった。
結論は、お試し使用をしてみようとなった。
その時は義母+妻+NPOの3人でやると決めた。多分、こういう時は出来るものなんだけどね。
義母の家についてから、義母宅を失礼するまで、約5時間。
これには私も頑張った、妻だめ、NPOだめならお鉢が私に回ってくるからだ。
退院日当日にこういう事をやったのは、流石に、余命を自覚したのかなとは思う。
先例があるのだ。
妻の妹が抗がん剤治療を否定、みるまに死んでしまった。
子宮ガン発見から3ヶ月ぐらいだった。
姉妹そろって自覚症状があるのに放置した結果だ。
嬉しいのか、不味いのは複雑だが、義母の口座から現金を下すのが私の仕事になってしまった。
問題にならないように、ノ―トを造り、何らかの記録を残さないと、貰ってないとか口座残高がおかしいとか
になるのが怖い。
病気見舞いとして50万円を義母から貰える事になったが、引き下ろし限度額が50万円なので
全額もらえなかったらしい。20万円は義母の1ヶ月の生活費なので、50-20=30だったそう。
14日の14時すぎになって、やっと、私も元気になってきた。