HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

義父の出棺、火葬と告別式

伯父さんが出棺式に遅れてきた。来ただけありがたいと思い非難も何もせず。

喪主の私も棺桶を運ぶように言ったが、葬儀社の担当が霊璽(仏教の位牌のこと)を持って

車の横で待つようにと云う。写真は家族の誰かがもって移動。

出棺の主な事は魂を霊璽に移すことのようだ。

神主がうううう~~~~と唸るのは、この霊璽の蓋を開け閉めする時だと初めて近くでみて

分かった。この霊璽にはすでに仏教でいう戒名が書いてあった。

氏名に○○と書いてあったようにおもうが、記憶出来ていない。

車に乗る時に近所の方が見送りに来ていたので、アドリブで挨拶した。

霊柩車の運転手からホーンを鳴らすかと聞かれ驚いた。

鳴らしてとお願い、彼に言わせるとホーンを鳴らすのを嫌う人がいるそうだ。

火葬場へは一番で到着、親族等はかなり遅れて到着。

これも隊列を組んで走ると思っていたが違った。

火葬場で不覚にも尿意発生、霊璽をテーブルの上に置いてトイレへ。

魂が入っている霊璽をあるいみで放置してしまった。義父、申し訳ない。

更に、親戚に何を書いてあるのかと聞かれて、うううう~と唸ることなく、少し蓋を開けてしまった。

親戚の誰だったか記憶が定かでないが、従姉妹だと思う。

火葬場でかなりの時間をまった。

火葬が始まる段になり、参列が遅れるから待ってという連絡が火葬場にあり、どうしますかと

私に聞くので、待つと返事。遅れてきたのは93歳の長老と、その運転手役の従兄と

従兄の隣の家の人らしい。この人、その地区の名士らしい。

火葬の待ち時間約2時間、控室で食事。

ほとんど年寄りばかりで和食にしてよかった。

火葬が終わったとのことで、火葬室へ移動。

顔面の骨を除いて、他の骨は潰しながら、全てを骨壺に入れた。

骨折の手術をした時のボルト他を壺に入れるかと、聞かれたが、流石に要らないと返事。

義弟が祭られた絵を見て、使ってくれたんですかと喜んでいた。彼は一応版画家なのだ。

骨壺、霊璽、絵(顔を書いた絵)を持って告別式場へ移動。

移動は義息子の車だ。

告別式場でリハーサル。30分位してたかな。

途中で神主が着いたというので、控室へ挨拶へ、その時に玉串料他を渡す。

告別式で伯父が生花の並び方が違うと式開始直前に文句をつけてきた。

結論は祭主である私が詫び、このままで式を執り行うと明言し、伯父さんは引き下がった。

これいつもの事で、直前に何か文句をつけてくる。

生花の並びは前日に伯父さんの意見を入れて変更したのだが、生花の並びを絵に

書いて確認する事を妻に進めたが、拒絶された経緯がある。

妻に言わせれば、生花の並びの順番を数値で書いて渡して欲しいと担当から言われたそう

で、数値で説明していた。聞いていた私も数値と並び順が頭の中で結び付かなかった。

当然、式場の担当は慌てた様子だった。

告別式開始まで1時間位前に、着いていたのだから、その時におかしいと言われれば

変更した可能性はある。

会場はほぼ満席、親戚の数より一般の参列者が多かった。

新聞に出した効果だろう。

参列者に僧侶の服装をした人がいたので、誰だと妻に聞くと、知らないという。

笠間の○○寺の住職だろうから、挨拶へ行けと促す。

その通りだった。

その住職も神式での参拝をした。

その住職夫婦は義父が仲人をした人で、義理がたい。

そうそう、私は香典を10万円だした。

妻は出さなくてもよいと言うが、半ば強引にだした、私の小遣いで。

出さなくてもよいという理由は、祭主として生花を2つ出しているし、喪主だし、身内だと

言うのが理由らしい。私一番の不満は、東村田という名前がどこにもでてこないのだ。

会葬礼状には出ているが、住所が違う。

住所に霊が帰ると言われて承知したが、会葬礼状の住所に帰るわけがない。

帰るのは、霊璽がある場所だろう。

告別式が終わり、精進揚げの会場へ移動。

担当が皆さんが集まれば始めるというが、時間だから始めると強引に開始。

ここで、私がお礼の言葉、伯父さんが乾杯の音頭。

乾杯はうーろん茶、式場の方針だ。

かなり時間も経過、長老もかえったので、締めようと妻に言うが、全員が帰るまで締められない

という。伯父さんが何時までも話をしているのだ。

そこで伯父さんもう終わりにして帰ってくれと要求、そうでないと我々が帰れない。

それが、この会場の方針らしいと告げ、半ば、強引に帰らせた。

疲れ果てた、喪主、89歳の義母が居ることを忘れるな、多少を気を聞かせろという事だ。

葬式が続いたらたまらんだろう。

そういう事で、実家へ帰宅。

遺骨、霊璽、絵を祭壇に祭った。

実家へきた叔母さんが、お祈りをして速やかに帰宅。ありがたかった。

叔母さんは弟の方の伯父さんは連れ帰ってくれた。

この弟の方の伯父は、線香を半分に折って灯すと言っていたが無視。

うるさい伯父さんはこなかった、来てももう帰ってくれと追い返したかも。

神主に聞いたが、神道には守り刀という発想はなく、仏教から来ている行為だそう。

線香もそうらしい。

しかし、神仏混合で、そういうのもありなんだそうだ。

納骨は10月何日にやるので、予定はどうかと聞かれ、OKと返事。

山の中の墓まで神主に来てもらい、お祓いをして、納骨だ。

山道の草刈が私の仕事になりそう。

妻は実家に残り、私だけ帰宅。

しばらく、義母の面倒をみて貰わないと、不味いという予感だがする。