HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

義父の死去2日目

息子と早い昼食、ただし、息子にとっては朝食。

10時半に寿司弁当を食べてから、妻の実家へ顔だし。

玄関で葬儀屋の人と行違いになった。

葬儀予定は、17日に納菅、18日に告別式、通夜はなし。

当然、神道で葬儀、神主は信徒である神社の跡取りが勤めている近くの神社に頼んだそう。

やがては後を継ぐので、それでよいだろう。

義妹の納骨の時に、お祓いをしてもらった神主だ。

今回もそういうことで、指名。

ここまでで述べた意見は、19日が大安で、台風もさるのに、何故だと問うた。

返事は、間を置きたくなかったのと、3連休なので、集まりよいと考えたと言われた。

それ以上は質問も批判もせず、なるほどと返事。

義母の要望で、訃報欄に載せるといわれて、驚いた。

喪主は私、告別式の挨拶は妻が、精進落とし時の挨拶は私がすると決めたそう。

あっそうという感じ。

ここから親戚への連絡開始、皆さん出ない、居ないようだ。

家電話ではなく、携帯でかけ直し、アンサーバック待ち。

面白いというか、そのアンサーバックを家電でしてくる人と携帯でしてくる人がいる。

普通、携帯なら携帯だと思ったがちがった。

そういう事で、混乱というか、同時に着信があり、やむを得ずに何件か出たが、怒られた。

理由は連絡が遅いということ、死ぬ前か、その直後に連絡をという事だ。

それでも13時過ぎには連絡済。

来客もないしということで、葬儀社から渡された紙に個人の履歴や趣味や親や妻の生まれや

結婚した月などのさまざまな情報を書きだした。

書きだすのは、祝詞の中に、それらを散りばめて祈るそうだ。

確かに、祈りの中で仏教でも個人の履歴などをぐにゃぐにゃ述べている。

これが、おもうように書けないと言うか、まじめに書こうとしたら知らない事が多い。

例えば、義母が何女か等を書く欄があり、義母自身しらないという。

結婚した年も書く欄があり、何で~~~そこまでと口出してしまった。

義父の履歴がほぼ書けない、紙に書く以上、正確でないとまずいと思うほど書けない。

なんだかんだと遣っていると、義母が巻紙を持ってきた。

それは、義父が書いた履歴だ。

生まれた時から、それを書いた時まで、毛筆の達筆で書いてあった。

勲章を貰った事を書いてないので、書いたのは10年以上前だ、未だ認知症ではなかった

と思う。妻に言わせれば、勲章を貰ってから目標がなくなり、衰えたそう。

巻物に書かれた内容から何を抽出して葬儀屋の書類に書くかで、揉めるというか

私と意見が合わない。結局はご自由にということに。

15時過ぎに帰宅。

息子と夕食の為だ、大盛の焼きそばを造ったが、なかなか難しい。

から~~と仕上がらずに、びちゃびちゃ。

4人前を2人で食べた。

18時過ぎに、実家へ向かうが、退勤者で道路混雑。

実家に着くと、娘と孫2人、伯父、叔母とその息子がいた。

娘宅の犬もいて、室内を闊歩していた。

21時前に娘の旦那が到着、それとすり替わるように私が帰宅した。

今日、10時から葬儀社との式次第の打ち合わせ、伯父もでるそうで、妻は困惑。

絶対、伯父の常識を主張しまくると思うが、伯父に私が葬式は徳島方式でやると宣言して

あるので、どうかなとは思うが、その徳島方式を私は知らない。

神式なんで全く知らない。

私の実家は日蓮正宗だったか、お墓は敬台寺内にある。

私が死んだら葬式は神式でやるね、妻はきっと。

もう11時、昼飯に豚肉焼弁当を息子と2人で食べたからでかけるか。

今行くと式次第でもめてると巻き込まれるし、昼飯を食べろとうるさいので12時すぎに

するかな~~~、行くの止めようかな・・・・。

行かないと後で冷たいとか何たらかと妻から言われそう。