HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

義父の葬儀での素朴な疑問

普通、納官がおわり、見送りが済むと、釘を打つと思うが、今回、それがなかった。

行事の途中できずいたが、声にもだせず、そのまま。

水戸、常陸太田、日立の差か、JA祭典と富士祭典の違いか、何だろう。

今年の4月にあった葬式には納官には参加させてもらえなかったので不明。

昨年の12月にあった葬儀には納官に立ち会い、釘も打った。

両者とも神式で、JA祭典だった。

常陸太田の葬儀は、今回も口出しした伯父さん宅で、生花も香典も出席も要らないと言われた

が、香典も気持ち分だけだし、告別式だけ参列した。

火葬にも妻は出たかったようだが、お帰り下さいと言われて帰らざるを得なかった。

叔母さんも同じ。

死者は伯父さんの奥さんの御母さんだ。

何もして欲しくないのなら、連絡してきた事が不思議、叔母さんと私たち夫婦が参列。

日立市の葬儀は叔母さん宅の葬儀で、ご主人が亡くなった。

亡くなった直後位に連絡があったので、翌日かな、色々な祭が執り行われる前に行った。

この行くという行為に、妻は凄く抵抗した。この抵抗が理解困難なのだ。

香典を出し、生花を出した。火葬祭と火葬は病院と重なり時間的に無理なので

その旨を伝えて欠席し、告別式には、我々夫婦が出て、義母は欠席。

妻の反対を押し切り、東村田名の生花は出したと思う、記憶がもうおぼろげ。

指名焼香では妻の父親の名前で呼ばれ、私と妻が焼香。

おかしいと思ったが、受け入れた。

プログのどこかに書いてあると思う。香典は家計費から出したから、1~2万円だと思う。

喪主は、日立の場合は長男が、常陸太田の場合は、奥さん(亡くなった方の娘)がなった。

今回の義父の葬儀で、小学校時代の同級生が来たので、指名焼香はできないかと

伯父さんが言ってきたが、即座に私が断った。

今思えば、歴史的価値はあったのかな~~~とは思うが、どうなんだろう。

今回の葬儀で分からないのは、歴史的な人の子孫が親戚として参列したが、どういう関係

なんだろう。確かに墓の位置は近いし、一軒向こう側の人だから、1750年代の親戚

なのかな。ここら辺になると家系図をよく読まないと分からない。

長老に繋がる人なのかな、長老家から明治14年に嫁を貰っている。

長老は他家から養子にきているから、養子に出した家と歴史的な人と繋がっているのかな。

そういう事だとすると、祭を執り行った神主も親戚だったりして。