HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

義父の体調

グループホームより、義父が食事を飲み込めなくなった旨の連絡があったそう。

そう長くはないかもというニュアンスがあったのかも知れない。

聞かされた私は、点滴をすればまた元気になるだろうから、点滴を要望したらどうか

と答えたが、それは医者が決めることだと云う。

ならば病院へ移ればどうだと云うと、グループホームで看取るということを決めていて、

施設側も了承だという。これは、以前に聞いた記憶がある。

私がそういう状態になっても、見捨てるような事はしないでと頼むが、返事なし。

私は最後の最後までモガイテ死ぬという方針なのだ。

21時過ぎ、風呂に入るために1階に下りると、話があると言われた。

万一の場合、葬式に呼ぶ親戚の話だった。

妻方の親戚、17名。

私の方の親戚、ゼロ、呼べるような親戚がないのだ。

お墓掃除を一緒にやっている遠縁だが、親戚の人も呼んだらと言うが、呼ばないという。

理由が班が違うし、付き合いがないからだと云うので驚いた。

墓掃除を一緒に遣る、これは凄い付き合いだと思うが、そういう認識ではないらしい。

常識が違う、前からそうだから、思うようにすればよい、口出しはしないと答えたが

結局、墓の維持には彼らの世話になるのは確実なのに、そういう認識が欠如している。

葬式も義母にどうするか相談しておいたらどうかと言ったが、事前に相談しないそう。

その理由は、以前、”(義父)は何時まで生きているのだろう”と発言したからだそうだ。

妻はこれを早く死ねと捉えた感じなので、そうではなく、生きている間に、いろいろと

しておかないと行けないことがあるからじゃないかという意味だろうと言った。
 
更に、夫婦間の感情と、親子間の感情は違うんじゃないかと窘めたが、

妻と義母の感覚と、私の感覚は本当に違う。