HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

納骨式の挨拶で神社へ

神社へ挨拶した方がよいと伯父がいうので、妻につれられて神社へ行った。

伯父との待ち合わせは高速バス乗り場の駐車場、伯父の希望だ。

伯父へのお礼の品は、甘い物が好きだからそれにしようと話ながら移動していたが

結局なにも買えず、あのお店は駄目、このお店はおいしくないの連続。

結論はお礼の品を揚げる気がなかったということだろう。

約束の時間になっても来ないので、催促の電話、奥さんが言うには、もう出たという。

伯父は80歳越えだから、仕方がないだろうと妻をなだめつつ、

蕎麦屋の出前と一緒だと話している間にきた。

我々の車に伯父が移り、神社まで移動。

何で自分で運転して行かないのか不思議だったが、神社の山道で、その理由を理解。

細い道だし、急だし、遠いし・・・という事だった。

登り道の途中で千葉ナンバーの車とすれ違い、ドライバーが何か叫んでいたので、

よく聞くと、この先に道はあるのかとの質問、逆方向から神社へ御主印を貰いにきたそうだ。

その後、イザ発進しようとするも、車がバック。

マニュアル車坂道発進なんてもう何年もしてないからかと、思いながら遣り直したが

やはりバック。妻がエンストしていると言われて、え~~~~~。

三回目は、ハンドブレーキを使い発進。

40年位前にお参りに行ったことがあるが、印象が全く違った。

社務所の前に到着したが、更に細い道を車で登れという。

流石に、関係者以外は禁止だろうと躊躇したが、大丈夫だというので登った。

宮司とその奥さんが怪訝な顔で見ていたが、伯父が車から降りると、ああ~~という感じ

の顔つきになった。本当に知りあいだったようだ。

社務所の中に招き入れられ、お茶菓子をだしてくれたが、寒くて寒くて。

炬燵にはいれと勧めてくれたが、奥さんが入ってないのに入れないだろう。

伯父さんが話すのは、親戚縁者や昔の話ばかりで、さっぱりわからない。

色々と聞きたかったが、話の合間に、ちょくちょくと割り込むだけ。

初めて知ったのは、お墓にも住所があるらしいとのこと。

山林の住所だとは思うが、それでは広すぎるし、そういう住所なんだろうかとか聞けず。

有名な方のお墓の先と云うと、分かった感じ。

その有名な方、義父の葬式の精進落としの食事会にいたから、5世の祖以前には

親戚だったのだろう。確かに、家も並んでいるし。

更に、驚いたのは、義父の実家は今の地ではなく、よりお墓に近い場所だったらしい。

どうも建て替えたらしいが、5世の祖、以前らしい。

お墓のある山も一族の所有らしが、所有者名義が5世の祖らしく、関係者が多くて変更でき

ないらしい。

神主の言葉はよく分かるが、伯父の言葉が聞き取れないのだ。

しかし、遂に寒さと尿意に耐えきれず、今日はこれで失礼しますと、伯父と妻を差し置いて

発言してしまった。

帰り際に、本殿へ行くかと聞かれ、妻もいきたそうだったが、拒否。

そうそうに下山、車の中はあったかい。

車の中で、奥さんはよく我慢しているなというと、妻が奥さんはもっと山奥の神社の

娘さんで、慣れているんだそうと、言っていたと教えられて、ビックリ。

全く、話が聞き取れていなかったようだ。

故に、山の所有者の話や、義父の実家の位置も聞き違いかもしれない。

帰路に納骨後に食事をふるまう旅館(?)に立ち寄り。

誰もいない感じだったが、伯父さんが声を掛けて、親父さんと息子さんを、そこから

よびだした。多分、休みだったので、締めていたのだろう。

お礼に出す食事の内容の打ち合わせ。

妻の要望は、参加者銘々がすきな品を当日注文する形式で、御膳にはしないという。

天ぷらと刺身は別途用意してと云う。

会場は広すぎるので、もっと狭い所を私が希望。

狭い方が会話が弾むからだ。

しかし、何人くるのだろう。

妻の推測では12人、声を掛けた人だけだと云うが、先祖伝来のお墓に納骨する

のだから、実家の周囲の親戚が押し掛けてくるんじゃないかと言う気もしている様だ。

私もそういう感じがするし、伯父が声をかけまくっている感じもする。

今日、19日は妻が日赤へ検査結果の診断を受ける日。

それで早く家を出て実家へ立ち寄り、義母に昨日の話をして、了解を貰えと云うが、

消極的、私(妻)の決めた事に反対はしないという自信は、凄いと思うが・・・・・・・。

後でゴチャゴチャ言われるのは面倒だろうというのが私の見解だ。

主催者は義母で、私でないよね?と何度も確認。

そうだという返事、信頼できないが、信じるしかないか!?。

風習なのか、納骨に参列する人は香典を持ってこないらしい。だから返礼品もないそう。

確かに、義妹の納骨には香典はなし、でも出たのは、私、妻、娘、義母だけで、確か、お墓で解散。

親戚はいなかった。

今回は親戚が大勢いるし、川口からくる人もいる。

いいのかな~~ともんもとしている。

それと、義母の親戚は呼ばないらしい、そういうものなのかな。

権禰宜から電話が来て、五十日祭はどうしますかと、聞かれたらどう返事するかと聞くので

同時に遣りますと返事したらよいと答えたが、その考えが理解不能なのだ。

ともかく、よく分からん一族だ。