8月5日(土)に厚生労働省社会・援護局救護・業務課より、父親の旧海軍の履歴についての
履歴原表(写)を送ってきた。
6月22日(木)に請求書を送くり、回答が8月5日だから、40日少々で送ってきたので
思いのほか早かった。
父親の海軍での所属は霞ヶ浦航空隊だと思っていたが、全く違い、第二相模野航空隊だった。
整備兵というのは間違いでなかった。
入手した資料は原本をカラーコピーしたその物で、清書もされてなく、字がよく読めない。
独断と偏見で読むと、
20歳で入隊。
昭和18年12月01日 第二相模野航空隊 現役編入
昭和19年05月15日 佐世保第二海兵● 入●海軍ニ等整備兵ヲ命ズ
昭和19年07月10日 海軍一等整備兵ヲ命ズ
昭和19年07月22日 全く読めない
昭和19年11月21日 卒業普通科 飛行機整備術章授●
昭和19年11月21日 第二相模野航空隊
昭和20年05月01日 海軍上級整備兵ヲ命ズ
昭和20年09月01日 海軍整備兵長ヲ命ズ
昭和20年09月01日 依命 ●役●●
上記の●は読めない字を示す。
終戦は昭和20年8月15日だから、09月01日は除隊した日かな。
第二相模野航空隊は整備兵の訓練部隊らしいから、訓練終了直後あたりに終戦か。
運が良かったと思う。
父親から聞いた話では、ラバウル航空隊に志願する兵を募集したらしいが、父親は
志願しなかった。志願した人は輸送船が撃沈されて戦死したらしいと聞いた。
家族欄に養父と養母の名前だけしかないので、隊の方で除外したのが真相かも知れない。