HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

戦争の記憶

私が妻から聞いた義父や義母の戦争体験と全く違うのはなぜだろう。

”「代わりに俺が死んでいれば」身代わりになった戦友、遺体を燃やした元少年飛行兵の思い”
https://wararchive.yahoo.co.jp/wararchive/kkt3.html

義父は記事の方と同じ17歳で志願して海軍入隊、19年2月5日らしい。

20年3月30日に海防艦保高に配属、宗谷海峡で潜水艦と戦闘。

妻から聞いた話では敵艦と砲撃戦だが、海防艦戦記とは全然違うので訓練の話が戦闘に変わったのかも。

海軍時代は食い物は豊富だったし、勉強はさせてもらったし、艦橋にいたので虐めはなしで楽しかったらしい。

憤慨していたのは馬鹿な上官が敵艦までの方位や距離の計測が済んでもいないのに”撃て”と命令。

義母は挺身隊かで日立製作所山手工場に動員、想い出はお腹がすいてすいてだけらしい。

休みの日は同級生と実家に食事をしに帰ったらしい。

実父は18年12月1日に徴兵されて第二相模野航空隊で整備兵の教育。

どうも戦闘の経験はなく、20年9月1日に除隊。

実母は勤労奉仕で鳴門の工場で働いたらしい。

実母からは腹が減ったという話は聞いてないので、通勤だったのかも。

義母も実母も全然勉強はしてないそう。

義母の兄の話が面白い。

徴兵前夜に付けで芸者を上げてどんちゃん騒ぎ、後日、請求がきて親が驚いたそう。

配属されたところが陸軍省(?)の厨房、料理なんてしたこともないのに、おかしいという話。

父親が偉い人だったので、手を回したのだろう、ずるいという妻の評価。

戦争の記憶って、その人の立場でずいぶんと変わる。