6月26日(金)の産経新聞に作家 曽野綾子さんの「臓器移植改正に思う」という
「臓器移植法改正案が衆院を通過し、ようやく脳死を一律に人の死と認めた、、、」云々で
始まる記事であり、暇に任せて、熟読した。
笑ってしまったのは
1)大方が医師によって占められていた多数の賛成意見が、(私の記憶では)4人ほどの
委員によって事実上強引に否定された結果である
2)日弁連には2万5千人を超す会員が属しているというが、それらの人が、すべて臓器
移植に反対なのだろうか
3)弁護士の団体が、臓器移植のような複雑な問題に関して、代表意見を出すということ
が妥当なのだろうか
4)救急センター勤めの看護師に、脳死が人の死かと思うことを聞いたことがある。
すると彼女は、「それは、はっきりとわかります。1週間も経てば、脳が腐ってくるのが
におってきますから」と答えた。
1)~3)は我田引水が酷すぎる意見で、4)は本当かと疑りたくなる意見だ。
特に、筆者が脳死をどのように把握しているのか不明なのだが、多分、心臓死から
脳死へ遷り、その後、死体の腐敗、当然脳も腐敗するが、これと心臓が動いている
状況の中での脳死と認識をごちゃごちゃにしているのではないかと思う。
50年近い前の話しだと思うが、人が死ぬと脳がどろどろになり、それが鼻から流れ出る
ので、鼻に詰め物をするのだと親から聞いた記憶がある。
脳死と判断された患者は、人工呼吸器を着けた状態でも、そういう状態に陥るのだろうか。
最近の私の知識では、脳死は脳の機能の不可逆的な停止だと思っているので、
救急センター勤めの看護師のいう現象は起こらないと思うのだが、事実を知りたいものだ。
最近、時々、報道されている脳死判定された人が生き返ったというニュースを読むが、
生き返った人の脳は腐った状態なのだろうか。これも真実を知りたい。
3)についても、おかしな事で、ならば、作家が意見を出すのもおかしいと思うのだが、
そうは認識しないらしい。
脳死は人の死とすると、法律的な問題がでるだろうから、弁護士が意見をだすのは
全く問題ないどころか、必要だと思うが、そう考えないところが、凄い。
2)も無茶苦茶な意見で、医者も全員が臓器移植に賛成なのだろうか。
兎に角、支離滅裂だし、我田引水が見え見えだ。
1)は多数決で議論を決すると決めていなかったから、4人の反対で意見の集約が出来な
かったという事だろうから、逆恨みが酷い。
私の意見は、人の脳死を期待しなければならない病気に罹った人は「あきらめる」と言う
選択もあってよいという事だ。
冷たいようだが、同じ意見と思われる人の記事が、6月28日(日)の産経新聞に
「動物愛護の浅知恵」という載っていた。紹介すると
記事の本当の末尾に、
時には死を与うべきである。「論語」顔淵篇に曰く「死生、命あり」と。
動物と人間は違うが、論語は動物のことを言っているのではないと思うのだ。
これは、私の我田引水が酷いということなのだろうか!?。
人のことを動物に当てはめる無理、大昔のことを現代に当てはめる無理。
兎に角、文系は手前勝手すぎ難しい。