和歌山の延命治療中止事件へのコメントで分かったこと
コメントしてくれた方のご意見を100%信じての余談だけれども、
脳死にも二通りがあるらしい、一つは臓器移植で行われる厳密な脳死判定と、もう一つは
日常的に行う脳死判定。これを世間では同一視しているのではないか?。
少なくとも私は同一視していた。
抗体検査して、インフルエンザですと診断するのと、病状を聞いてインフルエンザでしょうと診断
するぐらいの違いがあるようだ。なんとも凄まじい違いだ。
脳死の後者の判定は、意識、自発呼吸と脳神経反射の有無らしい。
臓器移植の場合も当初はこの判定だったような記憶があるが、これらの判定では脳死といえ
ない事例があり、問題となって、改められたと認識している。
この時、全ての脳死判定が臓器移植の場合の判定となったと考えたが、違うらしい。
だとすると、臓器を提供しますと伝えた途端に、脳死患者が脳死でない患者に格上げ(格下げ?)
される可能性があるということだ。
するとどうなのだろう。
この患者の臓器は臓器移植に使えなくなる?のだろうか。
理由は脳死でない患者なら、蘇生というか回復を狙った治療にはいらざるを得ないが、
回復すれば当然、臓器移植には使えないし、回復しなくても治療のために人工呼吸器を
つければ、それを外す行為が殺人罪になるらしいので、おいそれとは実施できないだろう。
適時に臓器移植用の脳死判定を行いながら、回復の為の治療を行うことになるが、
これって欺瞞だ。この欺瞞というかよく分からない行為を避けるために臓器摘出を諦める。
しかし、これは患者の家族にとっては、耐えられないことではないか!?。
だって、死んだと思った患者が実は死んでなく、治療を再開するってことは、殺そうとしたこと
に相当するだろうから。
当然、医者はこれらの事を避けようとするだろうから、簡易脳死判定に順ずるように、臓器移植
用の脳死判定もするだろうから、結局は藪の中なのだろう。
結論的には、医者から脳死だと言われたら、臓器移植用の脳死判定を実施して欲しい旨の
要求をし、その後に人工呼吸器を外すのが正しい処置なのだろう。
でも、万一助かって、重い障害を持った家族の面倒をみるのは大変だろうから、思い切って
死なせてしまった方が後々、都合がよいかも知れない。
結局は家族の絆の強さ、年齢と裕福さに依存してしまうのだろう。