脳死への関心はある。それは他人を批判しようとかと云うのではなく、我が身の回りに
そういう事態が生じたらどうしようと思っているからだ。
特に、妻、子供、実の兄弟が脳死だと宣告されたら、どう対処するか心の準備の一環なのだ。
自分がそういう状況になって、妻が人工呼吸器を外してくださいと医者にお願いしている
のを瀕死(脳死)の中で、聞いたら怖いだろうなと想像してしまうのだ。
瀕死(脳死)だったら、そういう会話が認識できるはずが無いと言われても、では誰が証明した
のかと、問いかけたい。
全身麻酔等で意識不明になった人が、麻酔から醒めた時、全くなにも記憶にないなら、そう
いう状況下にしてから、脳死だ、呼吸器外すぞ、安楽死だと話しあって欲しいのだ。
厳密には、脳死判定を受けた後、生き返った人から聞くしかないが、生き返った人は脳死でな
かったのだろう。
あの世と交信でも出来れば、証明できるのだが、非科学的なことで、証明といえるのかとも思う。
脳死に遭遇したことは一度だけある。
もう二十年以上前(?)の話だが、部下が交通事故を起こし、相手が脳死に陥った時だ。
親族からその旨を伝えられ、確か「どうしましょうか?」と問いかけられ、
「治療費は出さすので、心臓が止まるまで、治療して欲しい」と即答した記憶がある。
その後、人工呼吸器を着け、20日(10日?)ぐらい生きていたというか、死んでいたというか、
そういう状況にあったが、昇圧剤が効かなくなり、心臓が止まり、死亡宣告された。
家族も我々も泊まりこみで大変だったが、後で大いに感謝された。
その時、順番で病院に泊り込んだ同僚も今年の3月に死んだ。
事故を起こした当人は一昨年だったかに脳溢血で死んだ。
由る年波、何かしら関係付けて、次は自分かと思い、色々考えてしまうのだ。
ざくっと云うと、自分が脳死だと言われて、呼吸器を外されるのは、嫌なのだが、家族への場合
には平気で呼吸器を外してというと思う。
医者が外さないと自分で、呼吸器のスイッチを切るぐらいのことはする、但し、相手より元気な時
にそういう要求があればの仮定だが。
家族というのは自分の実の身内と妻に限定、妻の姉妹と両親には聞かれても決して口に
出さない。
では、嫁に行った娘はどうするかというと、口に出さないな、きっと。