HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

息子に実家に帰れと言われた妻

息子に実家に帰れと言われ、落ち込んでしまい、夕食も食べずに寝てしまった。

本人も原因がよく分からないらしいが、話の発端は、息子が雨戸を閉めに来た時に

「5時40分頃に閉めたら」といったことかららしい。

確かに、5時前に雨戸を閉めるのは早すぎると思うが、ここ何ヶ月も息子はこの時間に

雨戸を閉めているのだ。それをついつい否定してしまったのだ。

例えば、「日の入りが遅くなったので、そろそろ、少し時間を遅くしたら?」

と、相談形式で話せば、良いものを命令口調(本人は違うという)で伝えてしまった

のだ、きっと。

更には、「話し、掛けないでくれ」、「話はおとうさんとして!」とか云われたらしい。

これで、ますます、落ち込んでしまったようだ。

妻はそう云う家庭で育ったのだろう、食事時に色々話すのだ。

私は食事時には、何も喋らない家庭で育ったから、ただ、黙々と食べるだけ。

息子もそうだ。

大体が、親と話した記憶など、殆どない。

妻は息子が統合失調症だという医者の診断を疑っていないのだから、「その様に付き

会ったらどうだ」と日頃、話しているのだが、息子が全く普通に見えるので、ついつい

愚痴ではないが、愚痴を言ってしまうのだ。

当然、私は妻に息子は病気ではあるだろうが、それは、さぼり病とかニートだと話すので

混乱している上に、昨日、家族会があり、久々に参加し、「直ったの?」とか「大丈夫よ」

とか云われたのだそうだ。

それで、安心した所もあり油断したのだろうか。

以前、何処かで書いたが、相手の話しや行動をノーから話しを始める癖があるから、

きっと、ノーと言う言動を示したのだと想像する。

息子と話す時はイエスからとしばしば云うのだが、私との話しはノーからだから、その癖が

ぽっとでるのだ。

また、何故だ、何故だと問い詰めた結果の一言なのだろうが、本人、不味いという意識が

ないので、思い興せないのだ。製品トラブルを出した時の設計者自身の原因究明と同じだ。

間違ってないという意識が心底にあるので、図面のミスが見つけられないのだ。

話しの中で、甘いことばかり言っては居れないというので、びっくりして

「病人には御粥を食べさせる必要があるだろう!」

「息子は直ることのない病人なのだろう?」

と問いかけると黙ってしまった。

息子とのやり取りの中で同じような場面だきっとあったのだ。

面白い事に、私には、息子に先の話しはするなというのだが、自分はするのだ。

この言動不一致も凄いが、反省というか振り返り考えるとか見直すという事が希薄なのだ。

色々、話を聞き、私も時々、

「実家に帰って、親の面倒みたら」

というだろう、それと同じで他意はないと言ったのだが。

息子が医者に通っていた時、こういう病気を持った親は夜眠れなくなるのが、普通だが、

どうですかと聞かれたそうだ。

「私は眠れませんが、夫はよく寝ています」と答え、医者に「え~」と云われたそうだ。

この話を聞いた時、眠れないなら、医者に掛かったらどうかと提案すると、嫌だという。

逆に何故だ。

更に、夕べ息子の部屋から笑い声がしていたというので、テレビの音はしていたかと聞くと

していたという。これはなにが奇妙なのだ。

また、雨戸を閉める時、左右をきょろきょろ見ていたという。

これもなにが、不思議なのだ。だって、私も見るもの。

開けるときも、開けたあとで、上下左右を見て、変わった事がないか、確認するんだけど。

夜中に猫がにゃーにゃー鳴いていると煩いので追っ払ってきてという。

最初、医者に行った時、息子が近所の赤いカーテンが気になる話したので、お母さんはと

聞かれ、気になると答え、御父さんは何と言ってますかと聞かれ、気にならないそうだと答え

た所、その医者も気にならないと答えたそうで、医者がおかしいと私に訴えた。

案外、息子と妻、病気なのか、同じ気質なのだろう。

妹、弟、息子、更に妻まで病気になると、ギブアップだ。

地獄の定年後だ、全くの想定外だ。