30年前、妻の祖母がなくなり、一周忌祭を遣ったが、その時の出席者と香典額を書いた資料
が出てきたが、それに私の名なし。
だって、出席はしたが香典を出してないから。
当時は、それが茨城の常識かと思い、妻のいうままに出さなかった。
その後も妻が出さなくてもよいというので、出してなかったのだが、妻の父が亡くなった時、
出さなくてよいというのを無視して出した。出した額が出席者の最高額だ。
その額は妻の母が香典返しとして○○返却されたので、出してないのと同じだが、しっかりと
出席者名簿と香典額一覧表の両方に名が載った。
この名簿や表を叔父や叔母が見せてと要望され、見せてないと妻は言うが、きっと見せている。
それと出席者、30年前だが、遠縁でも血族は呼んでいた。
これも妻が云うのとは全く違った。
当たり前だろう、呼ぶのがと思っていたが、やはりそうだった。
この資料は、墓標に刻印するために、お墓を建てた業者をはっきりさせるために、領収書等を
探していて出てきたそうだ。
茨城の風習というらしいと云うことだったが、今更ながら恥ずかしい。
義父の葬儀の名簿、やがて独り歩きしだす。
この時、それを見た人は記載内容で判断するだろうから、名前がないと赤っ恥じだった。
最後にかたずけるのは娘か孫だから、彼らに恥じをかかすところだった。
神主も参加した昼食会でしめたらしい。
今の宮司のお父さんだ、義父の祝詞は、孫に当たる人にお願いしている。
当然、過去を調べているだろうから、おかしな子孫だと思っているだろう。