HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

七飯町の小学生放置は躾けを逸脱

七飯町の小学生放置は躾けを逸脱

放置小学生が無事に保護されたから躾け、万一死亡していても躾けなのだろうか。

躾け途中で子供が万一死亡していても躾けなのなら、殺し放題ということだ。

死ななければ躾けで許されて、死んだら殺人という考えなら、凄い。

躾けのために子供に食事を与えず餓死させた事件があったが、死んだから事件で、医者が上手く治療して助かったから躾けだと、親のやり放題だ。

子供も色々

今から60年前を思い出すと、放置されたという記憶はない。

ただ、繁華街の新町で私が行方不明になり凄く起こられた記憶はある。

親の言い分は”しっかいと付いて来い”だったかに思う。

しっかいと付いて行かなかった私が悪い、今だと目を離した親が悪いになるのだろう。

新町から自宅までは1人でも歩いて帰れる、そこは小学校の学区内。

記憶がはっきりしないが、小学生低学年だったと思う。

私がいう事をきかないと”灸”がお仕置きだったが、高学年になり泣くのを止めたらこのお仕置きがなくなった。

家を継ぐ長男だから、多分、大事にされていたんだろう。

小学生から山には1人で登っていた。

眉山という山で、山道では飽き足らず、獣道を登った。

中学生の頃はもう登らなかった、350mぐらい山で開発も進み面白みがなくなった所為だろう。

今思えば、子供の頃は楽しかった。

我が子を躾けた記憶はないし、勉強を強制したこともないが、大学進学は強く勧めた。

当然、1流大学ではなく、入れるところなら何処でもという勧め方。

大学なんて遊んで交友関係を広めればよいという考え。

娘は成功したが、息子は失敗。

楽しくない老後になったのは息子が病気で同居、一生は確実。

小さい時から躾けておけば、こうならなかったのだろうか。