HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

仏壇置き場

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仏壇を置く場所は、30年前ぐらいに家を建てたときから偶々ある。

仏壇はない、これからもそうであって欲しいが、夢だろう。

場所は今、物置状態、これでも少し前に片付けた状態だ。

左端のかごには、私の書類、例えば、確定申告書の控え、給与明細書、前の会社の退職関係の書類とか、、、。

その隣は、アルバム、妻がかなり前に書斎から持ち出し、そのまま。

その隣のビンは、小銭いれ。

その隣は、バッグ、湯たんぽ。

隣の紙袋は、北海道へ去年行ったときの書類(地図、申請書等々)、その下は妻の英会話教本。

段の上には、

妻の習字の教本、健康管理ファイル、その隣の箱はプリンター、その箱の上は銃の部品、

その上は喘息の薬。

妻の習字の教本の上にあるのはオルゴール、その上の新聞は自分が載った時の記念、ノートと

タップ、その上のノートは装弾の消費と購入履歴を書いたもの。

プリンターの箱の上には、CD、フラッシュメモリー、1GBのSDメモリーの箱。

鉛筆削り、キムワイプ、パンチ、財布、すずり、カラフルな模様の箱は小物入れ、ろうそく。

その他、書くのが面倒なので省略するような小物。

雑然としたようも思えるが、見慣れてくると整理されているとも思えてくる物置だ。

ここの大きさに合う仏壇を購入し、置くことになっている。

思えば、何で仏壇がいるのだろう、位牌を置くからか、為らば、位牌が無ければ不要か。

墓があれば位牌はいらないように思う。

無宗教や、神道キリスト教でやれば位牌は無いから、そうするかと思う無神経さ。

しかし、実家の仏壇どうする、捨ててしまうのか!。

悩みは尽きない。

親が死んでも知らん振りの世情だから、こういうことを考えるだけでも情けがあると思うと

ヘンに納得できるのが情けない。

家が絶えるとはこういう事なのだろうな!?。

妻の実家、神道なのだが、葬式も神道だった、位牌がある。

そうそう、土葬だった、親が死ぬと、また土葬にするのかな、広い墓地が山の中にあるので

面積的には問題ないが、どう考えてもいやだね。