1日に肺がんの検査に使う痰を提出しなければならないのに、今だ、採れない。
痰が出るようになれば、終わりだという感覚があるので、でないのは嬉しいのだが、検査用がでないのも
困りもの、出す方法はないのだろうか。
1度、偶々でたが、痰を入れる筒を持ってなく、採取できなかったのだ、故に、全くでないという事ではない。
以上は生物的な死への道程。
以下は、社会的な死。
昨日のこと、ジョイフル本田へエンジンオイルを買いに行った序に、店内をうろうろしていると、
同じ年代と思われる人より、「こんにちは」と言われたので、
相手をしげしげと見て、記憶がないので、「人違いでは」とその方に言うと、
「何処かで見た事がある」といい、御互いにはっきりしない。
最後は、「日立の中で何処かで会ったのかもしれませんね」で分かれたのだが、
そうは言っても気になるのだ。
そうそう、20日に、CT撮影に出かけた時、保健所で元同僚より、挨拶されたが、それは
瞬時に思い出して、「御元気ですか」と返事。
今回は、相手がボケているのか、私がボケているのか。
車も走行距離が5000KMぐらいで、エンジンオイルの警告灯がつく。
車も死に掛けているのだろう。