日赤に緊急搬送
5月3日、体調が悪いので日赤に連れて行ってと頼まれて、病院へ電話して、OKを貰った。
声が掠れて意味不明なので、筆談、と言っても一言、病院へ連れて行ってだけ。
緊急連絡先の電話番号を教えられて、そこへ電話、すったもんだの末受け入れ可。
私に病状を聞かれたがさっぱり分からん、胸が痛いらしく今にも死にそうだけ。
さ~自家用車で行こうとした所、歩けないという、その内にばたっと倒れ動けなくなった。
体重が38KGしかないとは言え、車まで運ぶのは無理なので、消防に搬送依頼。
住所とか病状とか倒れたのは2階かとか体重とか、色々聞かれたがほぼ覚えてない。
後からいくから救急車には同乗しないとを最初は同意されたが、途中から、
緊急事態が発生したら困るので乗ってと頼まれる。
救急車に乗ったとき血圧が75しかなかったそう、酸素飽和度は正常だったらしい、
救急隊員が主治医と連絡し、点滴。点滴液の名前は見たが思いだせない。
生理食塩水だと思う。
マスクをした上から酸素補給器をつけて、唖然とした。
病院に着いたときは血圧が120に回復、脱水症状だったかも。
ここからが長かった。
乳がん治療の主治医との面談を3回した。
1回目は、日ごろの病状を聞かれたかな、私はともかく入院を希望
2回目は、検査データが出るまで待ってという話だったか、この時に、新型コロナの検査を
するという、その結果で入院も考えるという感じの話
3回目は処置室へ案内され3人で話、この時、先生に頼んでいたマルチビタミン剤の服用を
妻にしたが妻が拒否、この時に入院期間の話がでたが、連休明けでどう?と先生が提案
私は体調が回復するまでを希望、12日が3回目の抗がん剤点滴日なので、それまで入院
でもよいようなニュアンス、妻はにっこり。
1回目か2回目か記憶が定かでないが、抗がん剤点滴後は2週間は苦しく3週間目は
比較的平穏なのはそうですかと聞くと、普通そうだという返事だった。
3週間毎を4週間毎に変更を提案、先生は量を減らす手、薬剤を変える手もあると言う。
今の抗がん剤は咳も出なくなったので効いている感じがするというと先生も同意。
落ち着いた時に今後の方針を相談しましょうで終わり。
そのあとは、看護師さんが持ってきた入院関連の書類書き。
印鑑が必要だった。
其れから病棟まで運ばれ、そこで病棟の看護師から色々と説明された。
終ったのが何時だったか、14時前、多分、10時前に搬送したから実に4時間か。
入院病棟が手術した時と違い綺麗なのに驚いた。
入院部屋はどうするかと聞かれたので空いてる部屋ならどこでも良いと返事。
5年前に私が前立腺がんの手術をして入院した時、隣の部屋が特別室で、そこが
3万円/日だったので10日入院しても30万かというのがあったからだろう。
ここからが私の帰宅に関して大大判断ミス続出。
病棟看護師に救急車で運ばれた付添人はどうやって帰宅しているのかと聞くと
バスかタクシーというので、バスを選択。
所が今日は祭日で、バスがないのだ、ならば、水戸駅まで歩こうと判断。
以前に歩いた時があるから歩けると判断、これがミス、遠いし腰が痛いし。
確か15時前の電車に乗ったから1時間位歩いたのかな、しかし、歩けるのにも
驚いた、歩くのは遅いが休むことなく歩いた。
自宅近くの駅で降り、バスの時間をみたが、バスがないが、タクシーはあった。
駅から自宅までのタクシー代は800円ぐらい、ただし、20年ぐらい前の値段。
手持ちが5万円と800円位、両替しようとお店の前まで行くが、前に散歩で
駅まであるいた記憶がよみがえり、歩くと判断。
元気なときでも片道40分はかかる道のり、これも過去にとらわれすぎ。
娘にメールしたのが16時30分だから、1時間40分ぐらいあるいたか。
ホットして、PCで遊んでいるうちに、娘から携帯に連絡があったが、携帯なんて
もちあるかないから、出ない。書斎に家電の子機があり、流石に電話に気付きでた。
娘、怒る起こる、何で出ないと、そんなこと言われてもね~。
娘、明日くるというので、落ち着いているので来なくてもよいというがくるという。
祭日だし、コロナだから面会は出来ないかもというが来るという。
仕方がなのでOK。
看護師から明日持ってこいと言われたのは、
①印鑑を押した入院申込書②携帯③財布(3千円)④ティッシュペーパー
➄歯ブラシとコップ⑥下着(3着)⑦薬(お薬手帳も)⑧イヤホン⑨テレビカード(1000円)
➉時計
時計は看護師から私の携帯に着信履歴ありで、3時間後ぐらいに折り返し電話で確認。
私が追加したのは
⑪充電器⑫老眼鏡⑬靴下⑭スリッパ(救急車に乗った時は裸足)⑮筆記用具
頼み忘れ。のは風呂に入れてだ、もう1ケ月も入っていない。
風呂は先生の許可がいるので今からは難しいか。