HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

私も極貧の大学生活

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もう50年も前の話になるけど、下記タイトルと同じような生活を4年した。

でも、全く嫌でなく楽しく、希望に満ちた日々だったと思う。

”1日食費300円、週5バイト、大学除籍も…大学生ら6000人中3割が仕送り・小遣いゼロの現実”
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190701-00010002-binsiderl-bus_all&p=2

しかし、定量的に評価しないと気持ちが悪いという性格があるので、有る資料で計算してみた。

写真は当時の郵便貯金の通帳だ。

41年の通帳がなぜないのか分らん、まだどこかにあるのかも。

42年9月27日~43年10月までに下ろしたお金は205544円だ。

月だと17128円、日だと570円になる。

記事の学生の倍ぐらいになるか。

アパート代が3000円/月だと、570円が470円になる。

水道代、電気代、公益代(トイレなど)はアパート代に入っていたのか、別払いか記憶にない。

親からの仕送りは偶に現金書留があったと思うが額の記憶がない、授業料は親が払ってくれた。

預かり金の14000円が仕送りなのかもしれない。

奨学金は最初は2500円/月、これが後日に3000円/月になった。

生活費は奨学金で賄った。親から送って来た金は貯金か?。

通学はボロ自転車と徒歩。
 
風呂は銭湯に偶に、アパートの水道で体を拭く日々、洗濯は手洗い。

当時、米を買うのに米穀通帳が要ったので、実家から送ってきた。

病気は不思議にしなかったが、虫歯によくなり、実家から保険証を送ってもらい、奨学金の範囲で処理。

どういう事かというと、歯医者にいった時は、夕食なしとか。

専門書は一杯買ったが、全て古本、これ最近まで持っていたが終活で捨てた。

最大の失敗は、体教育の実習は金がかかるので欠席、欠席しすぎて、出日数不足と教授に

言われて、単位をくれずに留年と言われ、これをひっくり返すのが大変だった。

単位は認めてくれたが、奨学金を1年間停止、どう乗り切ったか記憶にない。

でも、アルバイトは4年間しなかった。

娯楽もなし、女けなんてあるわけがないが、テレビは有った。

暖房冷房なんてのもなし、暇な時間は勉強と就職試験の準備。

衣服なんてどうしたのだろう、親が送ってきたのかもしれない。

体重は幾らだったんだろう、写真をみると凄くスマートに見える。

昭和48年10月に限度額100万円を利子で越えて、その分を引出し、この通帳の終わりとなっている。

この100万円を平成26年位まで定期にもせずにほったらかしにした失敗。

定期にしていたら200万円にはなったのにと今更ながら思う。

就職後3年間で(45,46,47,48年)100万円が溜まったといのも驚き。

標準月収が、4.5万、6万、11.8万、8万円の時代に100万円が溜まったといのも驚きだ。

記憶では仕事ばかり、楽しみは居酒屋で酔い潰れ、寮まで真夜中に歩いて帰ること。

当然、翌日は遅刻もせずに出勤。

”1日食費300円、週5バイト、大学除籍も…大学生ら6000人中3割が仕送り・小遣いゼロの現実”

学生が甘いんじゃないか、周りも甘やかすな。

大学受験の高校生時代を思えば、週5バイトしてても、遊ばないと勉強できるんじゃないかと

思うが、現代では可哀そうか!?。

当時の食生活;

お米があれば炊いて、それにマヨネーズ掛け

お米がないと、食パンにマヨネーズ掛け

入金があった時はクジラ肉のカツ、仲良くなった天ぷら屋のおやじが偶に半額にしてくれた

全てが面倒な時は木村屋のコッペパン

しかし、本当に4年間病気はしなかった。歯科医以外行った記憶なし。

余談;

45年2月24日に17000円を下し、残金1000円。

これ工場実習で岡山~日立までの交通費だと思うが、片道なのかな往復なのかな。

今考えれば無謀、どう考えたんだろう。

交通費がでたのかな?

大学の卒業式には出たから、日立~岡山へは移動したはず。

その後に再び、岡山~日立したはず。

どうやって費用を出したんだろう。

入社式は日立~東京移動、これも旅費はでたのかな?。

しかし、この実習が無ければ、徳島の高校教員になっていたのは確実。

凄く惜しいことをしたと思うし、親もそれを望んでいたのは間違いない。

これが最大の親不幸か、いやいや結婚かな。

もうちょっと小細工をしないで金を出してくれていたら違ったかもとは思う。

神田川という歌か「・・・何も怖くなかった・・・」という歌があるが、そういう感じだった。

前途揚々というわけではないが、前ばかりみていた、アルバイトはすべきだったかと後悔はしているが

当時、アルバイトをしなければならないほどの金銭的不安というか不足感はなかった。

持っているお金に合わせて生活したらよいということだったとおもう。

ただ、過去を振り返り、これで良かったのかとは思うのだろう、夜昔を思いだし涙がでることがある。

写真の通帳の最後は昭和48年10月27日、残金は100万円。

入社が45年だから、45、46、47、48年で、月数だと、8+12+12+10=42。

42か月で100万円を溜めたとすると、100/42=2.3万円。

手持ちの一番古い給与明細書は昭和49年6月で手取り16万486円。

寮生活だったので、寮費は天引きされてたが、その額は1万2000円程、安い。

すると、約16-2.3=13.7万円/月が小遣いだった?。

使い過ぎ、思いだせば涙も出るか。

”非常勤40歳男性の誤認”の方は私とは逆の歩みだったのではと想像。

楽しくて豊かな学生時代、就職後は貧しくて苦しい生活。

時代が違う所もあるが、学生時代、必死で勉強したかな、勉強が面白かったかな。