「出生数と死亡数の推移」というグラフをここ暫く眺めていたのだが、無くしてしまった。
茨城新聞に載った記事のグラフを切り取り、自分はあと何年生きるか想像していた。
統計通りに生きられる人は幸運で、大体はその前に死ぬのだろうと思うが、自分は平均までは
生きとおせると思わないと精神的に参ってしまう。
ならば、その平均を超えた時は、儲けものという気持ちがないと死ねない。
正直、その平均に近づいてくると、心中穏やかではないが、そういう態度を外にあからさまに出さない
のだが、ついつい医者に行ってしまう。死にたくないという表現なのだろう。
死にたくないというより、体の不調、特に痛みに敏感になってしまう。
痛みを感じないもの、例えば、難聴、老眼では医者に行かない。故に、痛みを感じなくする薬でも
年寄りに配布すると医療費は減るが、突然に死ぬ年寄りが増えると思うが、それでよいだろう。
感覚的には、年寄りは突然に、早く死ぬのが、世のためだとは思うが、若い時は50歳代でも
よい、いやいやそういう事は考えなかったが、63歳になった今は平均寿命までは生きたいと思う。
祖母は私が中学生の頃に
祖父は私が大学生の頃に
母は私が45歳
父は私が53歳
我が家は、女が男より早死にしている。
祖父母と父母は血の繋がりはない、養子なので、家系なのだろうか!?。
遠縁かも知れないのだが、そういう家系の流れは家を継いだ弟が聞いているのだろうが今や
医者が認知症というの確認は無駄だろう。
この駄文を書きながら気づいたので、妻に注意したところだ。
何を子供に伝えるのだろうか、何も知らないので、伝えようがないのだが、、、、、、。
団塊の世代の余命、まだ少しはあるから、調べて伝えるべきなのだろうか、無駄なのだろうか。
消えてしまってもよい事柄なのだろうかな。
母は私に色々しゃべったが適当に聞いていたので記憶が曖昧、特に妻と結婚する時に家柄に
付いて云われたが、そんなもの、左から右へ聞き流した。
家系図を作る人の気持ちが分かる。
妻の家系も、私の家系も後、何十年かで消えてしまうのは明らかなのだが、それでいいのだろうか。
妻の父は、私の今の年より少し前に、不動産等の整理をしたが、それから既に20年以上生存中。
本当に、意識が正常な状態でどのぐらいすごせるのだろうか、団塊の世代は!。
年初めの悩み、当然、先送り、そのうちにコロっと逝くか。