HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

自己責任論の議論

テレ朝で橋元氏と玉川氏が自己責任論で議論してたのを暫く聞いていたが、何か違和感

がある。その違和感は第三者が当事者を自己責任だと責めたら駄目という点だ。

自己責任という言葉が外国にはないような事をゲストの映画監督が言っていた。

本当かな~と思う。

調べてみると

Weblio 英和辞典和英辞典
https://ejje.weblio.jp/content/self-responsibility

に柿の様な例文が乗っていた。出典は金融庁らしい。

Until now, it has been the consensus that the asset management of pension funds should be conducted on
the premise of self-responsibility .
However, this time, given that AIJ Investment Advisors did not provide accurate information to customers,
there is the view that the premise of self-responsibility does not apply.

今まで年金資金の運用というのは自己責任だということで整理されてきたと思うのですが、
今回、(投資)顧問会社が(顧客に対して)正確に情報を伝えていなかったこともあって、
自己責任の前提が成り立たないのではないかというような見方も出ています。

ゲストの映画監督に知識が無かったのか、付き合いのある人に問題があるのか、何だろう。

確かに、寿司、おもてなし、納豆、醤油。。。なんて英語はないと思うが、自己責任がそういう

類いの言葉とは普通思わないと思うのだが・・・・・・。

ジャーナリストは権力を批判したり、嘘を暴くので、必要だとのこと。

これに違和感はないが、ジャーナリストは誰が批判するのだろう、そこの話は無かったように思う。

昔は批判する手立てがなかったが、今はある。

今ある物を使い一般人がジャーナリストやマスコミを批判している状況下なんだろうが、それが

受け入れられないんだろう。

権力が遣ると弾圧、一般人がやると、そういう言葉はないとか、必要だとか主張するんだろう。

最後まで見ればよかったのだが、今日はゴミ回収日、なので、妻が庭掃除を始めたので、慌てて、屋外へでた。

要るものを抜かれたり、捨てられたり、要らない物を残されたりするからだ。

当然、本人は悪気はなく、私の手助けだという感覚。

で、注意すると、怒ったり、憮くれたり、嘆いたり、自分でやれとか言いだす。

こういう感覚なんじゃないのか、マスコミの多くの皆さんは。