往来という言葉を使ったが、義母が我が家に来るという事ではなく、妻が行くという意味で使った。
もっといい単語があるのだろうが、思いつかないのでつかっ。
妻が実家に行くのに反対ではないのだが、その理由と時期には拘りがある。
昼食代を家計費から支出するのなら本当は毎日行ってもよいのだが、今は小遣いから支出。
ヘソクリが急激に現象しだして、先行き不安というのが根底にあるのだが、
小遣いから気持ちよく昼食代を出せるには、その理由と時期があるだろう。
今回、頭に来たのは、
8月22日(水):話し相手
8月24日(金):病院と補聴器購入
8月26日(日):叔母が預かった香典を届けに来るという
8月27日(月):病院
8月31日(金):翌日の準備
9月1日(土):義父の1周期祭
以後は聞いてないので不明。
上記で26日以外は承諾していたが、突然、26日もそういう理由で行くと言われて頭に来ている所。
来る方も来る方だが、それを受け入れる方も、また、応援に行く妻も何だと思う。
1日に持ってきてと言えばよいだろうと妻に言うと、1日に香典を出すのが嫌なんだろうと言われて
唖然、出さないつもりなんだと、その習慣というか地域性にはあ~。
妻は出さないつもりだったのかもしれないが、
叔母宅の一周忌祭には当然私が出たので出したし、義母もだした。
これだと、習慣というか地域性ではなく、親の教育不足か無礼な思い込みなんだろう。
計画性がないのは無いというか、弱いのは事実。
実家が30KM位の所だから、行けるのだが、もう少し遠ければどうしたんだろう。
義母の友人は、息子達に有料老人ホームに入れられたのは、こういう事なんだろうと推測。
男2人は水戸暮らし、娘1人は埼玉暮らし。
男2人の奥さんが義母宅へそう頻繁には行かないし、そう長くは続けられない。
そういうことで、有料老人ホームへ強制的に入れたんだろう。
私も義母を有料老人ホームへ入れる事を勧めているが、妻が反対、義母もそうだと言う。
女性って、先々の事を考える力がないのか、弱いのだろうか。
妻が入院でもして、実家に行けなくなった時、私は1回/月ぐらいは実家に行ってあげるが、
それ以上は行かない。孤独死しようが餓死何しようが知らないから、親に長いきをしてほしければ
何かを考えろと伝えているが、考えている節はない。
医者の診断では、私の方が早く死ぬらしいからかな、でも、お互いガン。
正直な話、一人暮らしが困難になったら、施設へ入ってほしい。
上記の意味を考えれば、娘がつくばへ引っ越したのは正しい判断かも、そうは来れないだろうから。
定年後の生活を考えた時、お金の事ばかりで、終末の事は考えなかった。
特に、義父母のことなんか頭の片隅にもなかった。
昔、県が住宅団地を売りだした時、2世帯住宅を建てる事を妻に提案したが、拒否された。
土地面積も200坪ぐらいの広さのものがなく私も諦めたが、ここで判断ミスなんだろう。
今日の朝、妻に私の目の前で体重を計らした所、45.6KG、体重的には大丈夫なか!?。