HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

天と地ほど違っても死刑は妥当

命じた方と命じられた方の責任は命じられた方が重いというのは、そうかな?と思う。

江川紹子氏、麻原元死刑囚と弟子の責任は「天と地ほど違う」「大きな衝撃を受けた」”
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180727-00000002-sph-soci

>幹部らはもともとは真面目な若者。
>自分を信じる者に殺人をさせた教祖と、心をからめ捕られて犯罪に手を染めた弟子たち。
>責任は天と地ほど違うはずだ

責任が天と地ほど違っても、地のほうでも死刑だって考えないのが不思議。

教祖の責任が100、幹部の責任が50でも、50が死刑相当なら死刑だろうと思うのだが・・・。

上が全て私の責任だと認めると、下は責任を取らなくてよいなんて論外だ。

ただ、下の人数が多すぎて、責任をとうと、社会が混乱するという時は、見逃すこともあるかな~。

オウムの下も上記の様に見逃されているんだろう。

>彼らがなぜ教祖を信じ込んだか、プロセスを語る証人なので、もう少し専門家が話を聞いて
>事件を研究する必要があった

これも一見なるほどと思うが、そういう研究が必要なのが分からん。

そりゃ~オウムが真ともな集団で、その中の1部がやったというのなら研究の要はあるかもしれないが

教祖や幹部が実行、13人から何を調べて何を得たいんだろう。

逆に彼らに感化されなかった信者をしらべて、その原因を追及したほうがよいんじゃないか。

検査データ偽造なんてのも、やった人もいるだろうが、断った人もいるだろうから、真の原因追究は

断った人からでないと出ないんじゃないか。

だって、断るって凄い犠牲がでるはず、それを覚悟して断った理由・原因のほうが重要だろう。

>国会レベルで心の支配のメカニズムを解明して教訓を導きだそうという

何で国会レベルなんだろう、議員が精神科医や心理学者なら分からんでもないが、ほぼ素人

集団、何をどうしようとしているんだろう。

>カルトによる被害者が出ぬよう、入門の動機などを手記につづって

これも高々13人からしらべるより、そういうテロに加担しなかった人から情報を得た方がよいんじゃない。

例えば、ノロに感染した人より、感染しなかったひとから情報を得た方が良いんじゃないか。

具体的例は、娘家族がノロに感染して全滅、応援に行った妻も感染、最後に私が応援に駆り出された

が私は感染せず、その理由は応援に行く前にノロ対策を調べて、それをまじめに実践したから。

感染した人に何をどうしたと聞いても仕方がないだろう。

>執行せずに反省の人生を送らせる方が良かったのではないか

これは裁判を批判しているのか、法務大臣を批判しているのか、どちらかか、両方か。

しかし、反省するかな。