HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

家は貧乏だろうが、そういう意識は希薄

貧乏と貧困の違いがよく分からないが、貧乏は自活していける人達、貧困は誰かに助けてもらわないと暮らしていけない人だろうと、自分なりには思っている。

そういう意味で家は貧乏だろ。

ただ、貧乏だといっても、新築の1軒屋に住み、車は3台、借金はなし。

多少の預貯金はあるが、ベンツでも買えば無くなる額程度。

義親の遺産を楽しみにしているが、こちらが先に逝きそう。

収入は改善される見込みは皆無、支出は医療が増えるので増えるのは確実。

帳尻を合わす為に衣食住や娯楽で調整。

加齢と共に帳尻は合うが、息子は我慢しているかも知れない。

家の状況を考えると、貧困家庭になるのかな~~~~。

貧困だけど、貧乏なだけと自分を言い聞かせているだけなのかな~~~~。

思い起せば、大学時代は確実に貧困、でも楽しかった。

当時は貧困、貧乏なんてぜんぜん考えなかった、ただただ前、将来を見ていた。

今も前、将来をみてはいるが、行き着く先は明々白々。

でも、そんなに死への恐怖はいまの所ない、そんな物なのだろうか。

息子の我々亡き後の生活、先祖伝来のお墓などなど心配しなくなった。

貧乏という境地にはいり、そういう心の余裕がなくなったのだろう。

こういう事を書いたのは、NHKが放送した貧困な女子生徒に関するブログを

読んだから。50年前と違うんだなと感じた。

大学に進学できた、それも私立、親は貧乏ではあったが貧困ではなかったという事か!?。

廻りが同じような状況だったからかな!?。

将来への夢を持っていたからかな!?。

でも、夢は挫折したけど、運良く大会社に入社でき、以降は麻痺かな!?。

でも、必死に勉強したな、高校の時以上に、遅すぎたんだろう。

高校時代に4当5落で頑張っていたら、親の貧乏が夢実現の壁になり

絶望したかな。色々と考えてしまう。

やっぱり、親が貧乏、貧困なのは子にとって良くない。