HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

熊本の地震をテレビで見て思うこと

3.11の地震の時、九州の人達は今の私と同じ様に見ていたんだろうなと思うと不思議な感覚になる。

私の所は震度6弱、その後に余震というほどの地震はなかった。

ユレはなかったが、放射線にはどうしようもないのだが、ビクビクしてた。

電気、水道は止まったけど、今思えばさほど困らなかった。

息子が入院していたので、キャンプ感覚で過ごしたように思う。

震災用に保存していたペットボトル水20L(?)が尽きた後で

給水車に並んだのは1回だけかな、4Lぐらい飲料水をペットボトルに入れて持ち帰った。

並んだのは役場、そこまでは車で移動。

飲める湧き水をペットボトルに入れて持ち帰ったことはあるが、ガソリン入手が困難だったので、そうも行けなかった。

食料は自宅の米を卓上コンロで炊いて食べた、食料の支援なんかなかった。
おかずは何を食べたかな~~、味噌か醤油か鰹節か梅干かな。

トイレの水は風呂の水を便器に流したけど、途中で妻が水道が復旧したと勘違いして風呂の水を流してしまったのには参った。川に水汲み、それを便器にながしたかな。

記憶がどんどんと消えていく。

道路は彼方此方に段差が出来て、走れなかったけど、自分達で段差を解消した道も有ったけど、そういう道は正式な復旧工事が後回しにされたようにも思う。

不思議な感覚になるというのは、熊本の人、幾らでも他地区にいけるのに何で行かないのだろうということと、食料支援が何であるんだろうという事の2点。

熊本県庁に支援物資が溜まりに溜まっているらしいが、3.11の時も同じだったのかな。

支援金はどこかにプールされてなかなか被災者に渡らなかったとは聞いたけど、貰った人って居るのかな!?。今回のそうだろう、支援金はどこかで消えてしまうのかな?。

上記のようか感覚でテレビを見てる。

妻から要求されたのは、卓上ガスコンロのガス菅が残り2本なので、買ってきてと言われたが今の家は太陽光パネル付きなので天気さえ良ければ非常用電気は使えるので無視。

蓄電池が欲しかったが、容量が小さくて未導入。

ペットボトル水が4Lしかないので買ってきてと要求されたが、

水は断水しても水が出る場所が分かったので、これも慌てていない。

米は10KG妻が買ってきた。

もうちょっと備えなければ為らないかなとは思うが、動きが鈍い。