HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

何で談話なんか出すのだろう

戦後70年節目だから出すのか、国内外の周りが出せだせというので出すのか、何で出すのだろうか。

安倍内閣は思うほど強固でもなく、首相の信念も言葉や態度ほど強くないのかも知れない。

それとも作戦なのだろうか。

何時からだろう首相がお詫びだとか、謝罪とか、侵略だとか、従軍慰安婦などと言い出したのは。

吉田内閣、岸内閣、中曽根内閣、小渕内閣・・・・・・誰が言い出しぺなのだろう。

言い出した首相が悪いと言っているのではないのだが、それを引き継ぐ首相ってなんだろうと思う。

だって、歴代の政府は集団的自衛権の権利はあるが行使できないという立場だったと理解しているが

安倍内閣で行使可能と判断を変えたのだから、同じように談話を止めたり、変えたりするのは有りじゃないか

と思うのだ。

お前の意見は何だと問われれば、先ずは国民に謝るべき、敗戦したことをだ。

私の矛盾する所は、大きな経済的損失は一族で受けたが、負けてよかったと思っている所だ。

テレビを見ていると、17~8歳の子供に戦争体験を聞いたかというインタビューが放送されていたが、

何と言うか話が、戦争否定、苦労したという話しばかりで、勇ましい話は皆無、本当かな~と思った。

京都駅に死体がたくさん運び込まれたという体験談を私と同年代と思われる人が高校生らしい人達に

話しているニュースが流れたけど、この話は本当なか?・・・・・と疑ってしまった。

大体が京都市内は爆撃されなかったはずだし、空襲で死んだ人は215人・・・え~と感じたのだ。

私が親から聞いている体験は、

父親:海軍航空隊で霞ヶ浦に所属、整備兵だったらしい。南方へ派遣される兵士の指名時に

点呼で呼ばれて、無視していると、同名の人が返事、その人は戦死したと云われた。

多分、こういう感じだったのだろう

指揮官”これからラバウルへ派遣する兵士の名を呼ぶので、前へでろ”

”鈴木、伊藤、田中、東村田、佐藤、助川・・・・・・・”

この時、勇んで前へ出なかったという事らしいが、後で、名簿で氏名を確認するから、人違いではないと思うが

父は気にしていた。

その時、私が”それは卑怯じゃないか”みたいな事をいった記憶がある。

それ以外というか以降、戦争体験を聞いたことはない。

母親から聞いた話だけど、召集令状で出兵する時、親から”お前は養子だとか、しっかり戦ってこい”と

云われた方が召集令状よりショックだったと言う話は聞いた。

1人子や長男は招集されなかったという話もあるし、父親は長男で一人っ子。且つ、お金持ち。

多分、召集されたというより、志願させられたんじゃないかと思う。

母親:勤労奉仕で、学校で勉強できず、食料は要らない品物だけど交換したらしい

進駐軍が来るというので日本刀、拳銃を旧吉野川に廃棄したと言っていたが、倉の奥くに拳銃ぐらい

隠してあったかも知れない。私から言えば、好戦的な一族だから。

祖父母:全く話なし

義父:勇ましいというか、そういう感じのはなし。大体が最近まで戦友会を遣っていたので、そうなんだろう。

長男なのに志願して海軍入隊。凄く優秀だったらしいが、口癖は的も定まっていないのに、砲術長が

主砲を発射してしまうんだそうで、当たるはずがないと笑ってた。だから敵を殺したことはなさそう。

義母:全く影響なし、風船爆弾の風船は作っていたらしい。食料を貰いに来た子供がいるが譲らなかった

話は最近聞いた。親が貰いに来いという感じの話し方だった。

実母の一族と義父・義母の一族は大分考え方が違う。市部と山間部という住環境も違うからかも知れない。

こういう状況で、子や孫に何を伝えれば良いんだろう。

両一族にいえることは、中国、朝鮮を信用していないという点。

義父は逆説的に中国や朝鮮人は最後まで嘘をつくから凄い、日本人はすぐに白状してしまうから駄目だ

というようなことをチョクチョク話していた。

談話なんか出しても無駄という事に通じるのだろう。

ただ、中国人は義理堅いというか約束したようなことは守るようなことを話してた。

文化大革命でそういう中国人は絶滅したのかも知れない。