HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

妻の殺気どころか気配も感じなくなった

情けないというか言葉も無いが、先ほど、妻が書斎に来て、私の肩を叩かれるまで

妻が後ろにいるのを気付かなかった。

狭い家の何処にいるかも感じないので、彼方此方覗き見つける感じだ。

以前はこういう事は無かった。家が築30年というのもあったのだろうけど。

少なくとも、真後ろに立たれても気配を感じないなんてことはなかった。

息子も階段を足音もなく歩くが、こちらは感じる。

故に、私の老化ばかりではないだろう。

妻が無害化した、私を頼らなくては生きていけなくなり、必然的に殺気も消え、気配も

薄くなた、何か寂しい。

乳ガンと実家の状況が影響しているのだろうと思うが、いかんともし難い。

ピリピリした気配がないので、両方とも落ち着いてはいるのだろうとは想像するが、

何分に私の老化が最近急なので、感じないだけかも知れない。

救いは勝手な事をするのが変らないのが救いなのかも知れない。

でも、その行動に文句を言わなくなった自分がいるのも情けない。

今しがた妻が買い物から帰り、書斎に来たが、これは直前に気付いた。

窓から車を駐車場に入れるのを見たから、来るな・・とドア方向を向いていたからだろうか。

しかし、第二の職場を定年、毎日3人で家にいるが、疲れる。

厚生年金というのはアリガタイと最近つくづく思う。

もう贅沢も浪費もしないので親子3人が暮らしていくには十分ではないが、困ることもない。

私が死ぬと遺族年金だけになり、厳しいが、貯蓄を切り崩していくのだろう。

老化と生活の安定が妻の殺気も気配も消す要因だろう。

消える前のロウソクの灯火でない事を切に望む。

妻の最大のストレスは1回/月の息子の病院へ行く日付き添いらしいが、これが何でストレス

かが分からない。ただただ医者から、”お母さん息子さんの様子はどうですか”と聞かれるだけ。

ま~~恥だとか情けないと言うのは分かるけど。

よくよく考えれば、生きがいという点では妻より私の方にない。

ほんと、なんにもない。

妻の殺気どころか気配も感じなくなったのは私側に要因があるのかな~~。

残りの年数は後10年もないのが、我が家系の寿命。

ああ~~~。