1972年から2005年までの手帳を廃棄した。
1970年と1971年の手帳がないのは不思議だが、70年は入社した年で手帳などもって居なかった
のかも知れない。71年は某原子力発電所の制御システムの設計で昼夜もない程に仕事をしていた
ので、手帳ではなくノートに記録していたのかと思う。
そのノートも見つからない。
大した事は書いてないというのか、今となっては無意味ということかも知れないが、事故と会議と
出張、そんな事ばかり。
ところどころに書いてある私的なことと言えば、女性の名前と電話番号などなど。
殆どの名前に記憶がない。
岡山、茨城、秋田、福島、東京、千葉、島根、福岡、宮城、シリア(日本人)、福井、愛知、神奈川、
兵庫とバラエティーに富んでいる。
当時、出張と趣味が写真で撮影会に多々出かけていたので、ここら辺で知り合った人達なんだろうと思う。
本籍地、徳島が全くないのも凄いと思うが、徳島を出た後は殆ど行かなかったし、親ともボツ連絡だっ
たからそうなったんだろう。
実家の家業を繋がったし、高校教員も断った感じになってしまったから。
要求されても、見合いの写真も履歴書も送らなかったし。
また、行きにくかったのも事実だし、高校時代の友人にも合いたくなかったし。
こういう思い出に浸りながら、記憶は美化されるから、楽しいのしか思い出さない。
福井(敦賀)で1年以上いたが、女気は一人、住所から見ると事務所の事務員かな。
彼女、パネル検査の技師と結婚、その人だと思うけど、何で名前があるのだろう。
どこでどうしたという記載がないので、分からんのだ。
北九州の電話番号の人、電話番号を調べると、法律事務所、トラブル起こした記憶はない
けど、1年近くホテル住まい、その時の窓口かな~とも思う。
遊ぶ暇、ゼロだった記憶しかないから。
しかし、思うに皆さんはどうしているんだろう。
仕事の事は自分の死後に記録が残ってもよい感じだが、正体不明の名前と住所と電話番号は
不味いと思うが、電話番号は市外局番等が変わり、通じない感じ。
以上はいつ書いたかはっきりしないが、下書きが出てきたので載せたけど、手帳はまだある。
ちょぼちょぼと出てくる。二重帳簿ならぬ二重手帳かな。
今の妻もよいけど、岡山の人と結ばれていたらもっと良かったかも知れないし、とっくに離婚してたかも。
新幹線はあったような記憶がするが、携帯はなかった。
遠距離交際は難しい。
お互いに就職した近辺で、仕事に情熱があったなら、駄目だろうと思う。