HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

グループホームへ入居

義父が26日(月)に、グループホームへ入居したはず。

はずというのは、妻に確認しないし、妻も話さないから。

義父をグループホームに入れるという行為に、後ろめたさがあるからだ。

突然に迷子にならなければ、小便を漏らすとか、同じことを何度も聞くなんて小さな事。

迷子になって事故に遭うのを恐れた上での判断なのだが、良かったのかどうかが??。

義父が嫌だと拒否したらどうするという不安がもの凄く妻にあり、どう答えたらよいのかと

聞かれ、何に一番反応するかと聞くと、元の仕事だと言うので、私の知人の部長の紹介

だと言えば已む無く入るんじゃないかと伝えた。彼は義父の元部下だし。

ここら辺も聞きたいのだが、妻が話すまで待つことにしよう。

施設に慣れるかという不安、費用も幾ら掛かるかという不安、義母の1人暮らしの不安、

義母も認知症になればどうするかという心配、次々と不安・心配が浮かぶ。

私の一番の不安は、妻が死んだ時・同様になった時、義父母の面倒を私がみるという事。

娘に押し付けるなんて出来ない。

施設に入ると2~3年で亡くなる人が多いという。

これは嬉しいというか、当初の狙い(事故防止)と違うのだが、後戻りは難しい。

義父の弟と妹に了解を貰い、従姉妹にもネゴ。

兎も角、これで妻のストレスが減り、長生きしてもらえると嬉しい限り。

私より長生きして欲しいという強い強い希望があるのだけど、妻は逆。

言えることは、共済年金はありがたい。厚生年金は少なすぎる。

義父が生きている限り、義父母がグループホームに入っても多分にやっていける。

私の年金では1名入ると、残された者の生活が困窮してしまう。

預貯金の取り崩しは、何時まで生きるかが分からないので不安がある。

老後には1億円の預貯金が要るというアドバイザーの意見が今ごろ身に滲みる。

兎も角、よかった。

多分、義父の退行を見ると、一番苦労した時代、やりがいのあった時期に帰るのでは

ないかと思う。所轄の課長時代、本部長と揉めた署長時代。話として一番聞いていたし

認知症になってから聞いても、生き生きと話したし、話が混乱しなかった。

私が認知症になった時、生きる時代は1970~3年、未だにフラッシュバック的に思い出す

し、一時期、意識の中がそうなってしまう。

という事は妻との会話が成り立たない、当時は独身だし、妻と知り合う前だし、

全然、そういう話はしなかった、100%仕事のことばかりだし。

会話が成り立たないね~きっと。

逆に妻は、どの時代で生きるのだろう。

それが、結婚前も結婚後も殆ど知らない、他の夫婦も同じかと。

同居して面倒を見れないという事と等価なんかな。

色々と考えてしまう。