HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

お墓へ続く山道

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写真の右側は崖で、10mぐらい下が沢、左側は山、この道を100mぐらい進むと、

4家のお墓がある。当然、一族だから同じ苗字、明治時代に4家に別れたらしい。

分けても食っていけるだけの土地があるのだから凄いと云えば凄いが、

相続で揉めに揉めたんだろう。

妻に言わせると、名前は同じだだ、2家は血の繋がりがあるが、他の2家とはないのだそうだ。

いまや、跡継ぎがなく4家とも滅亡方向なのだそう。

義父の所は長女が私の妻、次女は結婚はしたが子供を生まず、昨年死去。

私の所は、長男が統合失調症で結婚どころではないので、東村田家もやがて消える運命。

滅亡はよいとしても、誰かが墓を維持して行かなければならないので、

娘夫婦を呼び、その子(孫)にお墓の維持を頭に焼付けてしまえという事で呼んだのだ。

娘にも、お墓を宜しくと言ったが、水戸に造ってという返事。

水戸市内にも墓地は入手済なのだが、当然ながらまだ更地。

今は道が草刈されているが、この草刈をする家が1家しかなくなった。

総本家が刈っているんだそうだが、もう60歳でそう長くは続けられないだろう。

皆、歳をとり出来なくなったのと、子供達は遠くに住み、忙しくて草刈等にこられないのだ。

それで、この山の持ち主は誰だと聞くが、知らないと妻は云う。

趣旨はあと1m程道を広げ、車が入れるようにすれば、問題解決だというのが私の考え。

写真の道、左側20mぐらいの所にイノシシ用の”はこわな”があり、

帰りに、ついつい教えてしまい、娘夫婦は孫を連れて車へす飛んで行った。

来年来るかどうか怪しくしてしまった。

大失敗をしてしまった。