HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

義妹が救急車で搬送

今日の手術は無事終了だが、話題は昨日のこと。

妻を病院へ入院のために、運んでいる時だから9時半過ぎか。

妻の携帯に連絡があり、義妹が救急車で日赤に搬送されたという。

これには呆れたというかガックリ、だって、衰弱死を選択したと思っていたからだ。

話が違うって感じ、言うとするは違うのは分かるが、ならば最初から医者の勧めるように

入院して、抗がん剤治療をすればいいのに、かっこを付けて、自宅で療養というか

死を迎えるはずが、救急車を呼んだとは何事だ。

という事を妻に言うと、”考えは変わる”という返事。

入院手続後に、義妹の様子を見に、産婦人科病棟に行き、面会時間前だが、看護士に注意

されながらも、面会した。

見るからに衰弱、足なんか痩せたダイコンぐらいの太さ、筋肉なし、これでは歩けないし、動けない。

顔はホットした感じ、妻の表現だと、安心した顔つきだという。

医者は、多分、栄養剤を点滴。

これでよくなるという診断なのだそう、衰弱は回復するだろうは明らか。

結局、命を短じめただけの行為で、終りそう。

義妹の退院は、食事が出来るようになるまで、入院だそう。

で、また、自宅で食事が出来なくなり、衰弱し、搬送され、入院の繰り返しか。

旦那の意見は、夏季講習が始まるので、13時から20時まで不在、心配だったという。

そんなこと、1ヶ月以上も前から分かっていた事、何で今更・・・・・。

妻には、自宅で死を選んだ時、死の直前まで救急車は呼ばない、保護責任遺棄と言われようが

逝かすと、延命の為の酸素補給、人口心肺はつけない、大往生させると言い放つ。

それが貴方の選択だから、”考えは変わる”は受け付けないと。

嫌なら、最初からそういう事は言うなと、妻はダンマリ。

多分、今までの話し合いの通りだろうと推測。

話し合いの時、

臓器提供に私は反対したが、妻が保険証の裏に、する旨を記入で、諦めた。

新しい保険証になった時、勝手に、私が書き換えれば良いと思ったからだが、それからもう2年以上

経つと思うが、古い保険証のまま。何で更新されないのだろう、民間になったからか。

但し、これらの話は元気な時にした話、でも、変えない変えるなというのが私の思い。

当初、妻はガンになれば、治療せずに自然に行くという意見、これに私は治るかもしれないので

惜しいと厳しく主張、意見が標準治療まではすると変えた、変えさせた。

変えてよかったのが現実。

ガンにならないはずが、なったんだから。

当初の妻の意見だと、妹と同じ対処だったんだろう。

違うとすれば、救急車を呼んでくれず、痛みの中で逝くという結末になったんだろう。

介錯のない切腹ぐらいの苦しみが1昼夜ぐらい続くんじゃないのかな。