HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

病院で首長に会う

12日(金)、麻酔術前診察と造影剤をつかったCT撮影。

手術は16時から二時間ぐらいだと妻が診察中に医者から聞いた。

1日に手術件数を聞くと、

全身麻酔は2000件/年、部分麻酔は1000件/年という返事が帰ってきたそう。

最後に受付の人が清算書を渡しに来た時、入院日にくる時間を聞くと、午前中だと言うので

17時前にならないの?と聞いてしまう。

彼女がいうには16日に説明会があるので、その時に外科に聞いて欲しいと逃げられてしまう。

これみんな私の仕事の都合。

付き合っても何の意味もないが、付き合わないと不味いかなという漠然とした思いだけ。

会計後、帰宅しようとした時、首長が文書受付にいるのに気付き、妻に報告。

”そんなはずがない”というのが第一声。

私は何回か病院で見かけているので、間違いではないし、首長の顔はよく知っている。

”役場の人がくる”が次ぎの言葉。

間違いはないと強く主張。

朝刊で”奥さんが死んだ”という情報を得ていたので、死亡診断書を貰いに来たんだろうと言うと

妻はつかつかと首長の所へ行き、挨拶をしだした。

これには驚いたが、私は挨拶する気力もなく眺めていた。

何を話したのだと後で聞くと、

お悔やみと頑張ってくださいと言ったという。

何を頑張れという意味だと聞くと、反原発だという。

確かに首長、原発慎重派なのだ。

妻は原発反対派、私は元原発技術者、すごいストレスだったのかも。

多分、首長の奥さんもガン。

67歳、5年生きたとして、62歳で発病、貴方と同じだと、5年前は大変な選挙で

発見が遅れたんじゃないかと、我家は家、、、よく相似していると言ってしまった。

さすがに不味いと思い、2~3年、生き延びればいいという考えなのだから、5年も生きれば

良いだろうと更なる失言をしてしまった。

駐車場で妹に電話するが出ず。

折り返し電話が来たが、旦那が本宅へ出かける所、妹でマンションのドアの開錠操作が

できないだろうとの事で面会を断わられてしまう。

こちらのほうの不満が強く、私の言葉は吹き飛んでしまった。

妹、緩和ケアつていうのか、痛み止めを飲んでいるだけなので、どんどん衰弱中。

ガンになれば死ぬのだな~ってのが、首長に会って更に強くなった次第。

死の準備、覚悟というか、なにをどう選択するのか、決められない。