妻から乳がんと伝えられて、どうしたらよいのか考えが纏まらない。
妻は延命治療はしないという方針、為らば、乳がん治療も延命の一種じゃないかと思う始末。
そう思うのはやはり治療費の捻出が大きい。
払えない事は無いが、何か無駄な感じがするのだ、どうせ治らないんだから。
寿命が1年、いやいや5年、上手くいって10年延びたとしても延命だろうと考えてしまう。
家を建て替え、大部分の預貯金を使ったのが、そう考える基だ。
無駄だと思うのは
1)お金の余裕がない(年金だけで生活する自信がないという思いを刷り込んだのは妻)
2)ガン検診を受けろ、ガン保険にはいれ、住民検診を受けろと要求していたがことごとく拒否
3)延命治療はしない(私はすると主張していたが、アホかという態度)
4)妻の家系にガンで死んだ人がいるのに、いないと言い張った(家系という意味合いが違う?)
上記のことより自己責任、すんなり死ねばという思いが頭の中心にあるのだ。
冷酷な人間なのだろう、私は。
妻からも冷酷な人と言われているので、そうなのだろう。
実際は妻の方が、もっと冷酷というか、冷たいといか、関係ないというか、そういう傾向が強い。
私にも子供、特に長男にも。
もう一方の思いは
A)妻がいないと何かと不便
B)仕事を70歳まで続ければ、治療費はなんとかなる
C)葬式だすのも面倒だし、今では早すぎるという感じ
D)私の方が先に死にたい
E)世間体が悪い
1)~4)とA)~E)が交雑して、考えが時々刻々と変わる。
一番、衝突する点は、A)と2)だ。
A)で最大のネックは、息子、統合失調症だ、これの食事の世話だ。
洗濯、掃除、買い物、近所との付き合いは何とも無い
私だけの食事作りなら何とかなるというか、何とでもなるが、息子の唯一の楽しみは食事だ
何かこう面倒なのだ。病気のせいか、時間に固執する傾向があり、こちらが拘束されてしまう。
2)が引っ掛かるのは、心情的な所で、だから注意しいただろうという感情以外の何者でもない。
”それみたことか”という感情か。
昨夜、職場で、乳がんで28歳の妻を亡くした同僚に”どうなんだ、どうだったんだ”と質問。
痛みがでた時は手遅れで、全身に転移、手術後、1年で他界。
但し、30年以上前の話で、三軒目の病院で、乳がんと判明したので、治療も遅れたのだろうと言う。
また、入院している妻なんて、すぐ気にならなくなるという。
遊んでいる時に臨終、臨終に間に合わなかった様子。
ガンだと教えなかったのが、悔やまれると言う。
家を売り払い、生活補助を貰えというので、それは中途半端にお金があり無理筋と返事。
彼は仕事を休職し、生活補助を受けたらしいが、2年後にばれて辞退。
そういう事で治療費は全額を市が負担、額は分からないとのこと。
銃刀法違反容疑で家宅捜査をうけるような親に育てられた人らしい行動なのだろうか。
彼は今は3人目の奥さん、彼に言わせると、再婚したら良いじゃないかという。
統合失調症の息子がいる事は知らない。
そろそろ、新しいのを貰いたいというのには愕いたが、もう居るのだろう。
彼の意見を聞いて、出たとこ勝負で行こうかという気持ちに傾いたのは事実なのだが
死ぬのなら早い目にというのが一致、冷たいんだろうな我々は。
11日のMRI検査、同行するか、しないか、同行を求められるか、求められないか
同行しない、求められても断わるのが正解のように思う。
弟が救急車で徳島日赤に搬送され、呼ばれた私が、病状を告げる医者に”安楽死させてくれ”
と頼んで、拒否された話を妻は知っているので、同行を求めないだろうと想像。
また、妹から保険の効かないガン治療薬しかないので、お金を貸してと言われて断わったのも
妻は知っている。
父親が末期の肝臓ガンで治療方法がない時、弟経由で100万円/本の特効薬を打つてあげる
と伝えた時、父親は涙をながして喜んだそう。
そんな薬、ある分けもなく、1週間後ぐらいに死んでしまったけど。
何歳になっても命は惜しい、日頃の言動とはその場になった時に変わるのは分かる。
病院に同行すると言っても、来ないでと言われると思うけど。
特に診察に立ち会うなんていったら、顔色を変えて、大声だして拒絶するだろうと思う。
手術同意書も自分で書く、貴方の同意は不要なようにしたいと言ったので、3)の遂行を恐れて
いるんだろう。
しかし、30数年夫婦だったのと、30年殆ど音信がなかった弟や妹と同じような視点では見えない
から悩むんだけど。
情が遷るとでも言うのかな。
お金はいいから、新薬の血管阻害薬を最初から使えという思いもあるんだけど。
本人の腰が引いている。
11日のMRI次第かなとブログを書いている間にも考えが違ってくる。
情なんだな~と思う。