HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

事故の重大性評価

山梨で結婚を口約束していた女性を殺害

ゆっけの食中毒で4人死亡

交通事故で毎年1万人(?)が死亡

自殺者が毎年3万人(?)もいる

喫煙で肺がんになり毎年?万人が死亡

等々、人が死ぬ事故・事件と今回の原発のように人は死んでいないが、全村避難已む無しとか数兆円の

損害賠償をせざるを得ない事故とどちらがより重大なのだろう。

私は後者だと思うが、前者だと思う人もいて、え~と思ってしまう。

人が死ぬ事故は重大で、人が死ななければ、多数の人が被害を受けてもたいした事はないという考え方。

何かどこかおかしい。

所が、浜岡原発を止めようとすると、経済損失だと前者の人はいうし、

原発とめても人は通常なら死なないが、電力不足で病人が死んだりする可能性があるから反対だと言う。

矛盾してると思わないのだろうか。

福島の事故では全村退避、半径20KM(?)だったかの人は強制退去、凄い経済損失だろうと思うし、

放射線の命への影響も可能性がないとはいえないだろう。

浜岡の原発停止での電力不足は、計画停電等の事前対策で避けられるだろうが、被爆はもうどうしようもない。

もうどうしようもないから諦めろ、気にするなというのも分かるのだが、当事者にとっては耐えられないだろう。

議論が混濁していてよく分からない。

30年以内に78%の確率で、地震が来るので、原発を前もって止める。

30年以内に78%の確率で、地震が来ても、福島5、6号や女川のように何とかやり過ごせる。

どちらがよりよい判断なのだろう。

前者だと思うが、後者だと言う人もいるようだ、後者だと思う人の発想は、

やり過ごせなくとも、直ちに死者はでない。

やり過ごせなくとも、直ちに死者はでないし、地域経済の大混乱も、そこは出たとこ勝負。

何か何処か狂っている。

車を乗り出した時は、事故や故障が恐かったが、なれるに連れて、自分は事故を起こさない、起こっても保険に

入っている、こわれたらJAFをよべばよいと思うようになった。

こういう心境なのかな、浜岡停止を怒っている人達は!?。