25日に息子のディサービス体験(?)に病院からの要求により付き合った妻が、医者から、本人と
退院を相談して欲しいと告げられたようだ。
ようだというのは、何時もの事ながら話がよく見えないからだ。
話をごちゃごちゃに話すからだ。
「誰が何をどうした」という風に話してもらわないと間違うのだが、誰がなかったり、何をが無かったり
どうしたが無かったりする。多分、本人の頭の中にはあるのだろうが、言葉にして貰わないと伝わらない。
これも一種の病気だと思う、息子も同じような話し方をする。
どうも医者も真意を捉えられないような言葉使いを息子もするそうだ。
先週かに、
私が妻から、ねおりはおり聞いた所では、ケースワーカー、薬剤師も退院できると判断しているらしいが、
医者は迷っているらしいのだ。
また、外泊が始まった時ら、連休前には退院だろうと、話していたのだが、馬の耳に念仏だった様子。
こういう話があった時、自分の希望を医者に伝えろと云っていたのだが、臨機応変に対応できなかったようだ。
臨機応変に対応するには、こういう事があったらどうしようという事前の判断がないと出来ないのだが、
それがどうも理解できないようだ、妻は。
こういう事を要求すると、その時に判断すると言い逃れ、それをもう何十年も認めてきたのだが、、、、、。
息子の入院については、世間体などもうどうでもよいので、
出来るだけ長く入院させておいた方が、生活態度の修正によいと何度も云っていたのだが
違ったらしい。
「世間体とお金」と「不安」のせめぎ合いなのだろう。