HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

難病の予感の続き

続きを書く予定はなかったのだが、昨夜は妻が見舞いの結果報告で話しかけてきて、書けなかった。
それで、続きを書くはめになった。

・オノンカプセル錠

・キュバール100エアゾール3瓶

・セレベント50ディスカス3個

を1日止めると、昨日の夕方には体の異常はほぼ解消。

夜も起きることなく熟睡、当然、今日の朝も飲んでいない。

薬の説明書からは、オノンカプセル錠が犯人だと思うが、それには「しびれ」、「関節痛」が現れるとあるので、多分それだろう。

しかし、「しびれ」や「関節痛」ではないが、その言葉の定義や範囲が分からないので、決め付けることもできない。

薬を飲んでないので、咳はよく出る。

結論は、医者に行かずに、もう少し、薬を飲まずに、様子を見ることにした。

様子を見ている間に、犯人が違えば、悪化するのだろう、こうして手遅れになるのだろう。

女房の先輩も、腰がいたいという事で、整形外科に行き、コルセットをしていたそうだ。

それでどうしようもなく入院中の病院へ行き、いい医者にめぐりあったのだろう、CTを撮り、肺がんと判明。

肺がんが骨に転移し、腰痛だったらしい。

旦那の話らしいが、病院からはもう出る事は無いと言われているそうだ。

という事は余命3ヶ月!?。

病院からは友部にある中央病院を進められたが、現在の病院を選んだそうだ。

理由はずーと入院させてもらえるかららしいが、そんな事は、ないというのが、私の意見、故に、余命3ヶ月。

治療は抗がん剤放射線治療、ベッドから起き上がれないらしい。

妹が、乳がんから肺、骨に転移した時は、動いていたから大分状況が悪い、本人の自覚かも知れないが。

見舞いをアレンジした大先輩のお母さんも20年前だが、肺がんで死んだそうだ。

死んだ病院は私が喘息で掛かっている病院、現在の仕事の前任者もそこで肺がんで死んだ。

息子を消防士にした妻の同僚の義理の父親もその病院で肺がんで死んだ。

肺がんの終末病院なのだろう。

そういう事で彼女もやがて、終末病院へ転院してくると思う。

こういう話を延々、1時間もしていたので、追記できず、続編となったのだ。

ここまで書いてブログに登録しようとしたところ、右手の小指の付け根の間接の所で固まってしまった。

この症状は喘息の薬を飲む前から、脳外科でCTを撮ったが異常なし。

MRIを撮るか!?

クビの骨の老化からくる何やら(耳鼻咽喉科のレントゲン写真で写ってた)かも知れないとも思っている。

何科がいいのだろう?。