HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

樹木葬で葬られそう

朝、唐突に広告を見せられ、

”笠間の先に、樹木葬の場所が出来たので、どう?”と言われた。

”なんで?”と聞くと

”めんどくさいので”と答えたので、

”俺を其処に葬る心算?”と聞くと

”私、貴方もどう嫌”?と慌てた様子で答えた。

”いいよ、でも水戸に墓地があるでしょう、どうするの?”と聞くと

”両親が死んだら売り払う”という。

両親は常陸太田の先祖伝来の山の中の墓地に葬る心算のようだ。

子孫がないというか断絶する事ほぼ間違いないので、親戚の一同の墓地に葬る心算のようで、

私達も、其処にお願いするというのはずうずう過ぎるので、樹木葬となったのだろう。

つい最近、話の出始めは忘れてしまったが、

”私が死んだら、裏の菜園に埋めてほしい”と頼んだ所、

”気持ち悪いから嫌だ”と断わられてしまったのだが、もっと前には、

”前庭の柿の木の下に埋めて欲しい”とか

”大洗から苫小牧に行くフェリーから海に投げ入れてほしい”

と言っているので、色々、考えているのだろう。

徳島の墓地は、お寺の中にあるので、ほっといても、お寺が何とかすると御互いに思い出した

ので、やがて無縁墓地化するのだろう。

あの世で祖父母や父母に会った時に謝ることにする。

何ヶ月か前、徳島の墓を水戸に移す事を考えて、それを妻に話したのだが、返事は肯定も

否定もなし、墓石を持ってくるような事を口走ったのがネックだったのかも知れない。

それと宗派が違いすぎるのだろう、神道と仏教なのだ。

当然、樹木葬出雲大社というのだから神道だろう。

結論は一度、見に行こうとなったが、いいのかな、また、日にちがたてば考えも変わる。

子孫がない、ないことが見越せる時、いろいろ大変だ。

お墓もそうだが、不動産も処分するか、処分しやすくしておく必要もあるから。

昨夜は妻の年金収入を試算していたのだが、私が死ぬと、年金を本人の分か私の分に切り替え

る必要がある、これは損なので、長生きして欲しいと頼まれたのだが、長生きするから貴方の

年金で家を建て替えようと提案すると、嫌だという。

小遣として使うのだそうだ。

当然、私の年金は生活費

羨ましい限りだ。