HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

長生きは良いことなのだろうか?

情けないが、ここの所、体調が悪い気がして、趣味に気が入らず。

大した趣味ではないが、狩猟、ドライブ、家庭菜園、男の興味としての女だ。

気になるのは、病気にならない事、なっても早期に直すこと、これが目的化、趣味化している。

年寄りが病院にたむろしているのは、話し相手がいるからではなく、医者に行き、治療するのが趣味化、

云いすぎなら目的化しているのだろう。この目的が間違っているとは断定はしないのだが、

必ずしも正しいとも思えないのだ。

実は、ここ一週間は右胸の乳房辺りが鈍痛で、動くと痛くて往生している。

車運転も左右確認で体を曲げると痛い、立ち上がる時も”よいしょ”という感じで右手をテーブル等に

付けて立ち上がるので痛い、寝てると痛くないのだが、起き上がる時、寝返りをうつと痛いのだ。

不味いのは、大便の後始末をする時も痛いし、咳がよく出るのだが、その時も痛い。

何をしても痛い感じだが、我慢できないほどには強くないので、医者に行く度胸がないのだ。

何年か前にも、そういう状態になり、ほっとくと直ったので、今回もそのつもりなのだが、そうは言っても

医者に行った方がよいのだが、複雑な気持ちなのだ。

年を取るとは、こういう風にあちこちの体のガタがくるのだろう。

ガタ化するという認識は治療が趣味化、目的化しないという事だろうが、それでよいのかという疑問もある。

妻に言わすと、何処かで、右手で力を入れたので筋肉痛だろうという。

そうすると、そういう記憶がない私は、認知症または、相当のものだという事なのだろうか。

確かに、夕方になると朝飯がなんだったか思い出せない。

曜日もよく間違う。月、火が仕事休みなので、月、火が日曜日だと勘違いしてしまうのだ。

車もオート乗った後でマニュアルに乗ると、交差点でエンストさせていまうが、ブレーキとアクセルは

今までの所、オートに乗り始めた頃、以外は踏み間違えた時はない。

ないという記憶も認知症相当ならないのは当然か!。

体の調子が悪いのも認知症ならどういう記憶になるのだろう。

何時も調子が悪いという記憶、逆に何時も調子がよいという認識、そんなことも感じなくなる。

元気に、健康に、出かける意欲維持、どんどんなくなってきているのは確実。

最近、昔の同僚と飲んだ時、若い女性に触られるとピリピリとするといわれたので、職場の女性数人に

頼み、腕を触ってもらったが、無味乾燥という感じ、妻に触られたと同じようで、ガックリ。

皮膚感覚もオカシイのかな。

触って欲しいという要求を出す、この行為自体が病気なのだろうか。

年寄りと同居したことがないのが、今、不安というか、情報不足に陥っているのだろう。

情報不足も病気だろう。

しかし、生き抜いていいのだろうか!?。

後期高齢者医療制度自民党の裏の主張通り、必要という気分に落ちるのだが、、、、、、。

数日前か、妻も80歳、90歳まで生きてもいいのだろうかと突然言い出した。

その理由は、認知症で1人暮らし、当然に徘徊も起るだろうが、

そういう話をよく耳にするようになったかららしい。それも身近な人の間で。

お金があるのだから、グループホームに入れたらというのだが、それほどボケていないし、もともと

偉い人で、弁も立つし、態度もデカイし、知識もあるので、説得が難しいのだそうだ。

早く死ぬと言うのも、孫や子に借金を残さないという以上に重要な事かなと思い出したのだが、、、。

とりとめもない事をブログに書いてると時間が経つのも早いし、くだらないことも忘れるのだが、

お金がかからないので、景気向上には貢献しない、、、、、外出すべきだろうか。