HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

年寄りの親を抱え忙しい妻

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優しいのか冷たいのか分からないが、実家の両親の世話で忙しいらしい。

年初めは娘の一家の病気の世話で忙しく、両親の事は、ほったらかしにしていたようだが、

13日に母親から、夜咳が出るので病院へ連れて行って欲しいという連絡が入った。

妻の妹は、受験を控えて、塾の生徒の面倒見で、猫の手も借りたい程に忙しいのだそうだ。

それで、妻の所にヘルプと来たようだ。

それを聞いていた私は、大きな病院を勧めたのだが、混んでるから、嫌だというのだ。

命がかかっているのではないかというと、もう80歳だからいいんじゃないかという。

これには驚いたが、「そうだな」というが、今回は怒らない、更に驚いた。

何やかんやのすえ、13日は手ごろな病院なし、14日は仕事なので、連れて行けないという。

それで15日に、勧めた総合病院ではなく、個人クリニックに連れていったそうだ。

診断は、気管支炎だそうだ。

痰も調べるので、持ってくるように云われたそう。

薬はステロイドらしい、呑んだ後で、うがいをするように指示されたそうだ。

糖尿病、白内障の手術の予後、気管支炎で、三箇所の病院にかかっていることになる。

これでは忙しいだろう。

15日に病院から帰ると、父親から年始に連れて行けと言われたそうだ。

年始先は海軍時代の元上官、60年以上前の上官、そこへ行くのだそうだ。

今までは自分で車を運転していけたが、たしか免許証返納で、いけないのだろう。

返納させる時の条件として、要求があれば、どこえでも同行するという約束があるので

仕方がない、この約束には私も同意、文句は云えない。

此処までは、当たり前。

妻は元上官の家に初めて入ったのだそうで、そこには、兵隊仲間の写真と乗っていた軍艦の

写真がずらーと飾ってあつたのだそうだ。

乗っていた軍艦は「穂高」という艦船で、終戦まで沈まなかったそうだ。

1000トンだというので、駆逐艦かと聞くと違うという。

前に大砲が二門、後ろに一門あり、大洗港のフェリーぐらいあるという。

ここからが面倒の始まりで、WEBでどんな船か捜してと頼まれてしまう。

簡単に見つかると思い引き受けたが、ヒットしないのだ。

唯一ヒットしたのが添付のシルエットの艦船なのだが、違うという。

もっと大きかったというのだ。

妻の父親は穂高のマストというのかそういう一番高い所で、敵艦までの距離とか方位を

計測していたのだという。仕事は楽でよかったのだそうだ。

武装解除かなにかだろう大船渡で艦を降り、その後、艦は沈没したそうだ。

戦争の悲惨さというより、勇猛さを刷り込まれてきたようで、何となく言葉も勇ましい。

こういう話になったのは、孫から電話があり、どこえへ行っていたのだと質問した事への答えだ。

やましいというか、引け目を感じてしまうと、ついつい多弁になってしまう。

気をつけないといけない。