HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

転院前のレクチャー

二泊三日で徳島を往復したが、流石に疲れた。

19日の夜行バスで浜松町を出発し、20日の早朝に到着。

20日の夜行で徳島を出発、21日の早朝に到着。その後、自宅に帰り、着替えて出勤だ。

徳島到着後は計画通りに

小松島バスで日赤まで移動、到着が早すぎて、2階ロビーで1時間半近く待機。

そのまま病室行きたかったのだが、相部屋なので食事時間を避けたかったのだ。

食事トレイが出てきたので、受付で手続き、と言っても、患者名と私の名前を書かされただけ

なのだが、緊張してしまった。ICUへ入った時には名前等書かなかったのだ。

教えられた病室へ行くと、部屋に名前が書いてある。

個人情報なんとかで名前が張りだされていないと聞いていたので、驚いたのだが、

看護士さんの立場に立てば、名前が無いと間違いの元と思う。

所が、弟が病室に居ない上に、パジャマが脱ぎ捨ててあり、トンズラしたと思い、気がめいって

しまったのだが、帰る分けにも行かず、エレベータの前の窓から所在なげに駐車場等を眺めて

いると、「あれ~兄貴」と声を掛けられる。紛れもない弟だが、しょぼしょぼとしている。

見る影もない。

病室まで帰り、いろいろ状況を聞き始めると、医者が隣の患者の所へ来て、「どうですか?」

と色々聞きだしたので、迷惑だろうと思い部屋を出て、エレベータ前の休憩室へ移動中に

妹と会うが、妹と認識できず、弟から指適されて始めて分かる始末だ。

妹が背がちじみ、それはとてもとても記憶と違うのだ。

歩いている姿を見たのは、初めてと云えば初めてなのだが。

3人で休憩室に移り、話をするが、話が合わない。

妹は生活保護申請に反対と態度を変えたようなのだ、旦那の意向なのだろう。

障害者年金を貰えという意見なのだが、アルコール依存症でそんな物がもらえるとは思えない

のだが、末期がん患者を怒らせても、不味いので、「じゃ~そうしよう」と私も態度をころっと変える。

支給される金額が幾らぐらいかと聞くと、8万円ぐらいだろうというので、これまた驚く。

8万では弟が生活できるとは思えないのだ。そこで、生活費を聞くと

家賃=23000円

水道=3000円

電気=5000円

ガス=2000円

携帯=5000円

家電=1200円

生命保険=8000円

今回入った国民健康保険=2000円

合計で49200円ぐらいだというのだが、食事代が入っていない。

懇意にしていた食堂で朝昼夜食を1500円ぐらいで作ってもらえないのかというが、朝は

駄目だろうという。昼と夜なら頼めるかもという。

昼など頼んでどうする、仕事に行かないのかと喉まで出るが、1500*30日で45000円。

49200円+45000円≒10万円で最低限度の生活が出来るではないかという結論になる。

障害者年金が8万円では2万円が不足、どうすると言うと妹はダンマリ。

こういう話を延々と午前中行なう。

最終的には、1,2,3月は10万円を私が出すが、4月以降は、警備員、設備管理、清掃等

の仕事に付き、自分で稼げ、仕事はハローワークで探せというが、反応がいまいちなのだ。

就職せよを「自活」という表現をしたのだが、これを自殺と聞き違え、青い顔をしたのだ。

さすが、まだ死にたくはないらしい。

妹が、心臓が今度は悪いので、受診との事で循環器科へ移動した後、贅沢にも弟が

転院先の精神病院、アルコール依存症の治療が主なので、精神病院を紹介されたのだが、嫌

だという。これは全くそう思うが今更だろう。

嫌な理由は退院できそうもない、自由もなさそうだからだという。

前回、入院していた駅前の病院がいい、何とかならないかという。

転院手続き中で、旨いこと頼んでみろと云うが、頼んで欲しい様子だ。

自分で交渉してみたらと突き放す。

死にたくはないらしいが、働く気力がないのか、働きたくはないらしい。

息子と同じだ。

息子も自室で楽しく過ごしている。

違うのは酒を飲まない、飯は2食きちっと食べる、衣食住に困らない。

後は同じ感じがする。